日本は応用経済学のノーベル賞に値する。日本の資本主義が完璧だからではなく、その経済システムが素晴らしい成果を生み出しているからである。所得の増加と分配のバランスが非常にうまく取れているため、他の多くの先進諸国と違って日本社会は(米国のトランプ大統領、仏のル・ペン氏、中国の習近平国家主席などが先導する)大衆迎合主義的なナショナリズムの流れに引きずられることはない。
経済国家の目標は安定した社会を築き、維持することであり、そのためには成長を促し、そこから生まれる利益を公正かつ公平な手段で分配する必要がある。では、実際の数字を比較してみよう。日本人の経済的豊かさはどの程度で、富はどのように配分されているのだろうか?2017末の時点で、世帯当たりの純金融資産(総金融資産から負債を引いたもの)の中央値は9万6,000ドルであった。米国の場合はわずか5万ドルであるから、事実上、平均的日本人は米国人より2倍近い富を保有していることになる。
富の配分についてはどうだろうか?資産額の低い層を見ると、日本では純金融資産が1万ドル以下の世帯の割合は約9%だが、米国では28%に上る。確かに、日本にも貧困問題は存在するが、データから明らかなように、極端に困窮している世帯は比較的少ないと筆者はみている。
一方で、米国は富のピラミッドの最上部に位置する世帯の数が多い。米国では世帯数の約7%が100万ドルを超える純資産を保有しているが、日本では2%に過ぎない。つまり、比率から見れば、米国には非常に裕福な人々が日本の約3倍いる。ただし、同時に貧困層の数も日本の3倍に達しているのである。社会的・政治的見地からすれば、貧しく、経済支援も受けられない人々が多いことで米国は政治的に大きな危険を孕んだ状態にある。拙劣な経済運営が現実社会の民主主義と直面しているのだ。前回の大統領選で民主党候補だったヒラリー・クリントン氏は、2016年の選挙キャンペーンで「嘆かわしい人々」に言及したが、これは的外れであった。本当に嘆かわしいのは、この非常に危うい経済的不均衡を最初に許したのは支配的エリート層(クリントン氏はその主要な一員)だという事実なのである。
英国のサッチャー前首相はかつて「金持ちを貧乏にしても、貧乏な人が金持ちにはならない」と述べた。筆者は個人的にこの意見に心から同意するとともに、すべての政策責任者はこれを指針にすべきと考えている。日本ではサッチャー氏が述べた原理が広く認められるが、なぜだろうか?
所得データ、つまり世帯の税引き後の平均年収を見てみよう(ここではOECDのデータベースを用い、数字は1000の位に切り上げ/切り下げ)。2000~2017年に米国の平均所得は約2万4,000ドル増えて3万6,000ドルから6万ドルになった。同時期の日本の平均所得は2万7,000ドルから5万1,000ドルに増加しているため、同じく2万4,000ドル増えたことになる。日本は長きに渡って景気停滞してきたという話は置いておいても、実際は輸出や企業収益にもアップダウンがあり、GDPではアメリカ株式会社が日本株式会社を上回っていた。だが、両国の世帯収入(ドル換算)の伸びは概ね等しい金額であった。