SNSをきっかけに人間の「生き物」化が進行

 SNSの本格的な普及と同じ時期に目立ち始めたのが、学力の低下です。以下は、国際学力調査「PISA」の結果の推移です。

 OECD(経済協力開発機構)は、PISA(ピザ:Programme for International Student Assessment)と呼ばれる国際的な学習到達度に関する調査を実施しています。

 義務教育修了段階(15歳)においてこれまでに身に付けてきた知識・技能を、実生活で直面する課題にどの程度活用できるかを測るため、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野などを調査します。

図:国際学力調査「PISA」の結果(OECD主要23カ国平均)

出所:OECDのデータより筆者作成

 2010年ごろから、読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野の全てで、低下傾向が鮮明になっています。タイミングが世界的なSNS普及の始まりと同じであること、SNSが部分解釈、横と縦のつながりにおける浅い感覚に基づいた取捨選択、感情噴出の場を提供していることなどを考えれば、学力低下にSNSが関わっている可能性を否定することはできません。

 SNSの日常利用がもたらしている人類への内面的な変化を補足した資料が以下です。人間は、SNSを利用する中で自覚なく、たくさんのことを失っていると言えます。SNSは人間から、「思考・集中・時間」という大変に重要な資産を奪っているとも言えます。

図:SNSの日常利用によって人類の間で起き始めた内面的な変化(筆者イメージ)

出所:筆者作成

 SNSは部分解釈、横と縦のつながりにおける浅い感覚に基づいた取捨選択、そして感情噴出の場といえます。「人間の弱さ」とは、悦楽におぼれたり、不安を遠ざけたり、複雑な思考を回避したりする性質を示した言葉ですが、SNSはこうした弱さを最小化できる場であるわけです。

 人間は言葉を操る、深く考える、じっくり味わうなどの能力を持つ高等な生き物です。こうした能力を駆使して自分の弱さと向き合うことはまさに、「人間として生きること」と言えます。ですが、SNSという世界で自分の弱さを最小化することは、素晴らしい能力を放棄することと同じです。それはつまり、「生き物として生きること」に他なりません。

 このことは、民主主義を維持するために必要な社会では建設的な議論や、それに必要な自他の確立(自分を相対化)、自他を尊重する精神が損なわれつつあることを意味します。SNSが見えない社会基盤を崩壊させつつあると言っても言い過ぎではありません。

 文部科学省が進めている大学入試改革において、学力の三要素「1.知識・技能、2.思考力・判断力・表現力等、3.主体的に学習に取り組む態度」を提唱しはじめたのは、こうした背景があるためだと、筆者はみています。大学入試改革は、SNSをきっかけとした社会基盤の崩壊を食い止めるための策でもあると言えます。