「市場の効率性」とのちがい

「市場で取引されている株価に参加することには、概ね有利も不利もない」という事実を、「市場の公平性」と名付けてみたい。

 市場が公平であるということは、公平な市場でポートフォリオを運用した場合に、特定の参加者が有利な立場に立ち続けることが難しいことを意味する。つまり、「市場の公平性」は、アクティブ運用が上手く行かないことの原因であると同時に、素人でも或いは情報の乏しい参加者でも案外安心して不利無く株式市場に参加出来ることの拠り所でもある。

 これとよく似た概念に「市場の効率性」があり、有名なのはこちらの方だが、こちらは、市場では情報が瞬時に伝わり正しく解釈されるため、現在利用可能な情報は速やかに株価に正しく反映されるので、特定の参加者が有利になることが出来ない状況を指す。

 アクティブ運用の可否から見て、どちらの状況でも上手く行かないのは同じだ。

「市場の公平性」の状況下では、株価が正しいことは保証されていないし、株価が正しくないことは頻繁にあるが、市場参加者の間で相対的な有利・不利を安定的に作ることが難しいことによって、アクティブ運用が上手く行かない状況が発生する。

 他方、「市場の効率性」の状況では、情報は全て瞬時に株価に正しく反映しているので、市場参加者の情報や解釈力のレベルに差があっても、そもそもアクティブ運用が安定的に勝つことの出来るチャンスがない。

 チャンスを利用出来ないのと、チャンスそのものがないのとでは、現実は大きく違うが、筆者の見解として現実に近いのは、前者、即ち「市場の公平性」の状況だと思う。

 市場が効率的ではないと思う理由は、平均株価レベルでも頻繁に「バブル」が起こること、さらに個別株のレベルでは市場参加者の誰もが個別株の適正株価を正しく判断出来る能力がないと思えることだ。

 この判断に対しては、(1)アクティブ運用の平均が市場平均に負けること、(2)よいアクティブ運用を事前に特定することができないこと、の2つの現実が補強的に強力な証拠だ。

 この(1)、(2)は「市場の効率性」の下でも起こるが、実際には、プロの運用者も、大筋では市場の公平性に頼って、少しだけ自分のアレンジをポートフォリオに付け加えているのが現実だ。彼らもまた、「市場の公平性」に邪魔されているというよりは、守られているように見える。運用成績が能力と努力によってはっきり差がつくのでは、あまりに大変ではないか(現実はちがう)。