※本記事は2016年6月3日に公開したものです。

「個人資産運用の一般理論」はどこにあるか

 先日、金融学会のパネルディスカッションで、金融教育にあってその困難は、金融教育の提供方法が難しいことの外に、たとえば資産運用の方法についてもパーソナル・ファイナンスの研究自体が十分完成していないことに問題がある、と述べた。

 この時のイメージは、高度で厳密な個人の資産運用方法が先ずあって、そのエッセンスを損なわないように簡素化することで個人に伝えるべき「運用の簡便法」が出来て、それを学校教育からテレビに至る様々なチャネルで提供していくといい、というものだった。

 ところが、ここ数日考えているのだが、もちろん、個人が直面する様々な要素を反映した厳密な方法は研究されて然るべきだが、個人の資産運用の骨格をなす方法論は案外単純で、この方法論を取りだして、必要があればアレンジを加えることが適切なのではないか、という気がしてきた。もともと正しい個人の資産運用法自体が単純なのではないか、という可能性が気になり始めたのだ。

 どの個人の資産運用にも当てはまる、言わば「個人の資産運用の一般理論」とでも呼べる方法論があれば素晴らしいが、それは、案外簡単に手の届くところにあるのではないか。

 そのためには、世間一般だけでなく、自分自身も囚われている、一見「常識」に見えて、しかし、よく考えてみると正しくなかったり、意味がなかったりする幾つかの先入観を無力化する必要があるように思われる。

 本稿は、「個人の資産運用の一般理論」を確立するために必要な論理的前提条件の整備を意図するものだ。

 筆者は、これまでに長らく資産運用に関連する仕事に携わり、ファンドマネジャーや投資関連の調査の仕事をして来たにもかかわらず、恥ずかしながら、それでも、正しくない先入観を幾つか持っていた。そして、それらが誤りであることを、過去に分かったり、つい最近分かったりして来たのが現実である。まだ本質の全てに辿り着いたという確信は持てずにいるが、いわば、時間を掛けて薄皮を剥ぐように、有害な先入観はその姿を表した。

 例えば、読者は、「短期の運用と、長期の運用とでは、運用の内容が異なる」「お金の運用にあたっては、運用の目的を明確にしなければならない」「投資家の熟練度によって、投資すべき商品が変わる」といった意見の幾つかに、「その通りだ」と思われないだろうか。だとしたら、読者の先入観の「毒出し」はまだ十分ではない。