「ここで円高が止まる」―思い込みで億の損失
「1980年代、私はとある銀行のニューヨーク支店で為替のトレーダーをしていました。当時のドルと円のレートは、1ドル=250円ぐらいです。会社の資金で5億円、10億円単位でトレードを繰り返していました」
「10億!しかも、会社の金って」
隆一の背筋はさらに伸びた。
「はは、よくも悪くも会社の金なのですが、その資金でかなり稼いでいました。私もまだ若かったんですね。社内を肩で風を切って歩いていたものです。そして、忘れもしない1985年9月22日、プラザ合意が発表されると一気にドル/円が250円から200円近辺まで円高に進んだのです。私はある程度の円高は予想をしていましたが、200円は切らないと思っていたので、200円近辺で円を売って、ドルを買う注文を毎日のように5本、10本と出しました」
「5本ってどういう意味ですか?」
「為替取引の単位で、1本は100万ドル。1ドル=200円なら、1本は2億なので、5本だと10億です」
隆一のまゆはつりあがる。そして、先生は続けた。
「私は、この円高は一時的な円高ですぐに円安に戻ると思っていました。今から思うとまったく根拠薄弱なのですが。マーケットはそこから私の期待を嘲笑うかのようにさらに円高に振れました。見る間に190円、180円台と下がっていき、損失がどんどん膨らみました」
隆一は、ぽそりと「会社の金だけど…」とつぶやく。
「ええ。上司からはもうここで損切りをしろ!と指示がきました。でも、私も当時は30代前半で血気盛んなころ、頑なに必ず円安方向に戻るのでもう少し待ってくださいと抵抗し、ポジションを解消しませんでした」
先生は、天井から床に視線を落とした。
隆一は恐る恐る「先生、それでその後どうなったんですか?」と尋ねた。
「その1週間、私はほとんど眠ることができず、為替レートを表示するポケット端末を目を充血させながら朝まで凝視していました。そしてある日、眠れないまま会社に向かい席につくと、私のポジションは全て解消されていました。私は誰がこんなことをしたんだと思い、周りを見渡したところで上司が近づいてきて、『お前のポジションは俺が全部解消した。億の損だ。授業料と思え。とにかく今日は帰って寝ろ』と言われました」
「いくら上司でも勝手にすることないんじゃないですか。先生が任されていたわけでしょう」と隆一は先生の擁護にまわった。
「ええ、私もカッとなりました。言われたとおり会社を出て、家に帰ったのですが、すぐに寝付けず、フォアローゼズのバーボンをストレートで飲んだら、そのままソファで12時間以上寝ていました。夜中に目が覚めると、ふと「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という誰でも知っている平家物語の1節が頭に浮かんだのです。我ながらずいぶんとセンチメンタルだと思いますが、その詩を思い出すような自分に対して、ひとつ振り返ることができました。それは、『独りよがりだな』ということです。自分の考えやポジションによくよく執着していたんですね。ドル/円は200円を切ることはない、必ずまた戻る、数億円も損を出すと社内で笑いものになる、出世もなくなる、などなどです。これらの勝手なシナリオや欲や不安が自分の中を占め、それによってまったく冷静な判断ができなくなっていたわけです。上司が何も言わずポジションを解消したのは、そんな私のことをよくわかっていたんでしょうね。ここからは結果論ですが、その後も円高の流れは続き、あのままのポジションを抱えていたら、損失はさらに膨らんでいました」
「先生でもそんな失敗をするのですね」
隆一は、かつて株のデイトレードで仕事が手につかないほどに追い込まれた自分と先生を重ねていた。
「この失敗で私は多くのことを学びましたが、この体験を私に深く刻んだ出来事がもうひとつあります。他の銀行で同じく為替のトレーダーをしていた友人の死です。彼も私と似たようなポジションを取っていました。私は上司のおかげで損切りができましたが、彼はさらに円高が進むなかでもポジションを持ち続け、最後、自ら命を絶ってしまったのです」
「あ、う…」ともらしながら、隆一はふと自然現象の中でなすすべもない人間を思った。