米中が「対立」もノー、「接近」もノーでは日本の国益は守れない

 このように見てくると、戦後、日本、米国、中国という三国関係は、(1)冷戦の崩壊、(2)中国内政の劇的変化という不確定要素に見舞われながら、(3)日米同盟を基軸に推移してきたことが見て取れます。

 ただ、戦後の日米中関係史をひもといていくと、(1)~(3)にかかわらず、米国と中国が対話を強めたり、接近したりすると、日本は両国が日本を頭越しに話を進め、関係をつくるのではないかという「ジャパンパッシング」を懸念してきた心理と経緯が垣間見えます。例えば、1970年代のニクソン訪中です。逆に、米中が対立すると、日本は米国への同調を余儀なくされ、中国との関係悪化を懸念する方向へ揺れます。例えば、昨今における半導体の対中輸出規制や台湾問題です。

 言ってみれば、米中が接近しても、対立しても、日本は「見放される」、「巻き込まれる」という態度で米中関係を眺め、終始受け身の姿勢で、日本は独立国家として何がしたいのか、米国でも中国でもなく、日本としての国益や安全をどこに見いだし、どう実現していくべきなのかという戦略観を見失ってきたのだと思います。

 その意味で、米中が対立しながら接近している現状は、日本にとって大いなるチャレンジだと私は考えています。日本の政府や企業に求められるのは、受け身の姿勢で米中首脳会談を眺めることではありません。日本国内には、米国が中国に厳しく挑み、米中が対立することを望む人々、逆に米国と中国が対話路線で融和的な関係を形成することを望む人々がいます。日本の国益と一言でいっても、さまざまな地域、業界、人々で成り立っていますから、その利害や主張は十人十色。いろんな見解や立場が混在しているのはむしろ健全な証拠でしょう。

 一方で、歴史をひもときつつ見てきたように、「米中対立」に対しては「巻き込まれる」と恐れ、「米中接近」に対しては「見放される」と怯える経緯と構造は、国民国家・日本としては大いに問題だと思います。

 このレポートで答えが出るような単純な問題では断じてありませんが、米中対立、米中接近それぞれに対して、アドバンテージは最大化し、リスクは最小化する、米中が対立しても、接近しても、そこから日本の安全と成長にとって必要な要素を抽出し、「漁夫の利」をむしり取るくらいの気概と行動を、政府も企業も持たなければならない。

 私たちが米中関係を視る眼は極力「乱高下」を避けるべきであり、米中がどう転んでも日本の、自社の利益を守るんだという断固たる決意が求められると、私は強く思います。