今週、サンフランシスコで米中首脳会談

 先週のレポートで、米サンフランシスコで11月11~17日の日程で開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力会議)経済人リーダーズウイークに際して、同地に集結する各国首脳による会合が開催されること、そして米中両国が首脳会談を開催すべく調整してきた経緯と背景について整理しました。

 そして、レポート配信の翌日夜9時(北京時間)、中国外交部が、習近平(シー・ジンピン)国家主席が11月14~17日の日程で米サンフランシスコに赴き、米中首脳会談に臨み、かつAPEC非公式首脳会合に出席する旨を正式に発表しました。私は本稿を11月14日(火)午前に執筆していますが、本日、習近平氏が北京から太平洋を越えて、米西海岸に向けて飛び立ちます。

 習近平訪米の模様、米中首脳会談の結果については来週のレポートで詳細に振り返りたいと思います。10日夜、中国外交部がプレスリリースを発表した際、次の点を指摘しました。

「中米両国首脳は、中米関係の戦略性、全局性、方向性に関わる問題、および世界平和と発展に関わる重大な問題について深い議論をする予定である」

 中国側の気合の入り具合を感じさせる文言です。3期目入りした習近平政権として、昨年11月14日、インドネシアバリ島での首脳会談からちょうど1年ぶりの首脳会談の実現に向けて、半年以上の時間をかけて地ならしをしてきたと私は理解しています。そして、今度は相手国である米国の地で、バイデン大統領と、米中関係の戦略、全局、方向に関わる問題、および世界の平和と発展に関わる問題について議論するというわけです。

 世界二大国である米国と中国の首脳が交わす話の中身次第では、世界情勢がコロッと変わってしまう可能性もあるわけですから、注目しないわけにはいきません。

米中関係と日本:A Short History

 日本、米国、中国という3カ国の関係は、戦後、常に複雑な国際関係、国内情勢の影響を受けながら、劇的に推移してきました。その歴史を、簡潔に振り返ってみましょう。

 1940年代、日本の敗戦から間もなく、中国では国共内戦が勃発。蒋介石率いる国民党は台湾へと逃れ、中国本土では毛沢東率いる共産党が1949年10月1日に中華人民共和国の建国を宣言します。中国本土と台湾は分裂したまま現在に至っています。

 1950年代、朝鮮戦争が勃発すると、米国は共産党政権下にある中国の脅威を考慮しつつ、占領を経て民主化、非軍事化を試みた日本の「再軍備化」を図ろうとします。日本を半共産主義の防波堤に据えようとしたのです。日本では戦後復興に向けての歩みが始まりました。

 1970年代に入ると、キッシンジャー外交に促され、ニクソン大統領が訪中。中国が文化大革命下にある中、1972年に日本、1979年に米国が中国と国交正常化し、台湾とは断交しました。当時の日米両首脳による政治的決断が、昨今の台湾情勢に根源的な影響を及ぼしています。

 1980年代、日中がしばしの蜜月関係を形成する中、日米間では貿易摩擦が起き、1985年のプラザ合意で米ドルに対して日本円が一気に上昇。バブル経済崩壊の一端とされました。

 1990年代、日本ではバブルが崩壊。ソ連は解体。世界は「米国一強」の下、ポスト冷戦期に入っていきます。1989年に天安門事件が勃発した中国は、1992年、鄧小平の「南巡講話」で市場経済を大々的に推し進めるべくスピードアップします。

 2000年代、北京五輪開催。リーマンショックは米国の衰退と中国と台頭を想起させました。

 2010年代、中国のGDP(国内総生産)が日本を上回り世界第二位へ。中国は「核心的利益」を主張しつつ、対外的に強硬路線を敷くようになっていきます。

 2020年代、米中対立、台湾有事が日本の官民に襲いかかります。中国経済の「日本化」リスクも、貿易額の20%以上を中国に依存する日本企業にとっての懸念事項となっています。

米中が「対立」もノー、「接近」もノーでは日本の国益は守れない

 このように見てくると、戦後、日本、米国、中国という三国関係は、(1)冷戦の崩壊、(2)中国内政の劇的変化という不確定要素に見舞われながら、(3)日米同盟を基軸に推移してきたことが見て取れます。

 ただ、戦後の日米中関係史をひもといていくと、(1)~(3)にかかわらず、米国と中国が対話を強めたり、接近したりすると、日本は両国が日本を頭越しに話を進め、関係をつくるのではないかという「ジャパンパッシング」を懸念してきた心理と経緯が垣間見えます。例えば、1970年代のニクソン訪中です。逆に、米中が対立すると、日本は米国への同調を余儀なくされ、中国との関係悪化を懸念する方向へ揺れます。例えば、昨今における半導体の対中輸出規制や台湾問題です。

 言ってみれば、米中が接近しても、対立しても、日本は「見放される」、「巻き込まれる」という態度で米中関係を眺め、終始受け身の姿勢で、日本は独立国家として何がしたいのか、米国でも中国でもなく、日本としての国益や安全をどこに見いだし、どう実現していくべきなのかという戦略観を見失ってきたのだと思います。

 その意味で、米中が対立しながら接近している現状は、日本にとって大いなるチャレンジだと私は考えています。日本の政府や企業に求められるのは、受け身の姿勢で米中首脳会談を眺めることではありません。日本国内には、米国が中国に厳しく挑み、米中が対立することを望む人々、逆に米国と中国が対話路線で融和的な関係を形成することを望む人々がいます。日本の国益と一言でいっても、さまざまな地域、業界、人々で成り立っていますから、その利害や主張は十人十色。いろんな見解や立場が混在しているのはむしろ健全な証拠でしょう。

 一方で、歴史をひもときつつ見てきたように、「米中対立」に対しては「巻き込まれる」と恐れ、「米中接近」に対しては「見放される」と怯える経緯と構造は、国民国家・日本としては大いに問題だと思います。

 このレポートで答えが出るような単純な問題では断じてありませんが、米中対立、米中接近それぞれに対して、アドバンテージは最大化し、リスクは最小化する、米中が対立しても、接近しても、そこから日本の安全と成長にとって必要な要素を抽出し、「漁夫の利」をむしり取るくらいの気概と行動を、政府も企業も持たなければならない。

 私たちが米中関係を視る眼は極力「乱高下」を避けるべきであり、米中がどう転んでも日本の、自社の利益を守るんだという断固たる決意が求められると、私は強く思います。