年齢と「投資観」

 先日、トウシル編集部に募集して貰ったQ&Aの中に、「山崎さんの20代、30代、40代と年齢を重ねていく中で投資に対する考え方に変化は生まれていったのでしょうか?(以下略)」というご質問があった。

 振り返って考えてみると、10年単位で年齢とぴったり一致している訳ではなかったが、「投資というものは、こういうものだ」という言わば投資観が、自分の中では二度大きく変化していることに気がついた。

 この気づきだけであれば、一個人の投資に関する理解の変遷に過ぎないのだが、3つの投資観を並べてみると、その変化には、広く投資家に伝える価値がある一般性があるように思えてきた。

 そこで、Q&Aとは別に、ホンネの投資教室の記事として一本にまとめてみることにした。ご質問を寄せて下さった方には大いに感謝する。

 はじめに申し上げておくが、投資に限らず、実際にお金を動かして結果が良かったり悪かったり、もっと端的に言うと、儲けたり損したりする経験が本人の心に与える印象の強さは圧倒的だ。

 近年の筆者は、「N=1へのこだわりを克服せよ」などと言って、N=1、つまり所詮はサンプル数1に過ぎない「自分の経験」を重視するのではなくて、頭を使って論理的に考えよと偉そうなことを言っている。しかし、自分自身の過去を振り返ると、自分の経験に大いに振り回されていることに気づかざるを得ない。以下、自分の考えの変遷を、少し恥ずかしく、少し申し訳なく思いながら書いてみることにする。

私の投資観その1「買って、売って、利益を出すことが投資だ」

 筆者の相場との最初の関わりは、商社の財務部での外国為替ディーリングであった。年齢は20代前半であった。スポットのUSドル/日本円を売ったり買ったりして値差で儲けることが主なテーマだった。

 はじめは、情報端末を見てニュースが出た瞬間(だと自分が思っている時)に売買の注文を出したり、各種のチャートのようなものを見て値動きの癖を見つけることは出来ないかなど、プロアマを問わず為替の売買を行う人が試すことを一通り試した。

 ただ、チャートは深入りしても実が取れるようになるものでないことを早めに実感したし(為替の世界はテンポが速いので早めに「卒業」できた)、ニュースの解釈と注文の早さを競うスピード勝負は少なくとも銀行の立場でないと不利であること(当時、商社は銀行に注文を出す「客」だった)を理解した。また、ニュース解釈そのものの経済学的な解釈よりも、市場参加者が持っているポジションの偏りのようなものの方が、少なくとも短期的な為替レートの値動きを考える上で重要であることを感じた。因みに、為替ディーリングは、「1年後のレートなどどうでもいいから、5分後のレートを切に知りたい」と思うような世界だ。

 為替の世界は、ごく入門的に足を踏み入れたに過ぎなかったと今にして思うが、投資とは、お金を投じて売り買いを行って「値差」を利用して儲けようとする行為だという、トレーダー的な投資観が自分の中で形成された。

 また、自分個人のその時の優位性は、経済ニュースや経済指標などの解釈に関する経済学のハンドリングの優位だと思っていたので、情報の正しい解釈を行って、適当な投資期間を取るなら、為替の売買で利益を上げることは可能だろうと思っていた。

 つまり「ファンダメンタル分析」に有効性があるだろうと信じていた訳だが、その根拠は曖昧であり、今にして思うと、「有効であって欲しい」という願望と、「優れた人は(或いは努力した人は)、優れた結果を出せるはずだ」という素朴な思い込みとが投影されていた脆い信念に過ぎなかった。

転換のきっかけ1 「売り買いする」から「ポートフォリオを持つ」へ

 個人的に相場と関わるフィールドが、外国為替から主に株式に変わった。投資信託(担当はバランス型のアクティブファンド)や企業年金の株式ポートフォリオ(担当はアクティブファンド)を運用するファンドマネージャーになった。主な勝負のフィールドは日本株のポートフォリオだ。TOPIXと同業他社のファンドが実質的なベンチマークだった。

 自分の中で一回目の投資観が変化する前提として、「売り買いで利益を出す」、そしてそれを積み重ねるということが、不利であって現実的でないことが分かった。必然的に、「ポートフォリオを持っている」という状態が自分の仕事であり、投資の本質的な姿だという理解が生まれた。

 この理解に早く達することが出来た要因として、まだ株式の売買手数料が固定手数料であった時代の「売買手数料の大きさ」に助けられたことが否めない。機関投資家の金額の売買手数料であっても、今のネット証券での個人投資家向けの手数料よりも大きく高かったのだ。

 この点では、現代のアマチュア投資家で株式のトレーディングに熱心な人は、かつてよりも売買手数料が安いことが、投資の理解が一歩先に進まないことの要因になっているかも知れない。手数料が安いことそれ自体は投資家にとってプラスなのだが、そのおかげで「ゲームの構造」が見えにくくなっている面があるのではなかろうか。

 尚、よく考えると、買った資産を長期に「保有」する投資でも、「買って・売って」利益を出すことを目指すのであり、「買って・売って」を繰り返すトレーディングでも値差は「保有」している間に生じるので、「買って・売って」の投資観と「保有」の投資観との間に矛盾や対立がある訳ではないのだが、投資に関わる生身の当事者にとっては、「保有しよう」と思うのと「売り買いしよう」と思うのとでは実際の考え方と行動に対して天地の差がある。

 具体的には、「売買の投資観」にとらわれていると注意の向く対象がどうしても結果の損益になりがちだ。これに対して、「保有の投資観」に立つと「意思決定の時点でベストであること」に目指す重点が変化する。これは、確率という概念を持てるかどうかの差を生むので、実質的には大問題なのだ。