マクロ経済の中の「期待」

 さて、「将来の予想」というニュートラルな意味の「期待」なのだが、人は自分の持つ期待によって行動が変わる。例えば、物価が下がると期待すると人は「買い控え」の行動を選択するかも知れない。逆に、インフレになるとの期待を持つと「早く買う」行動を選択するだろう。そして、例えば、後者の行動は、その行動自体がインフレを促進する効果を持つなど将来に影響を与えることがある。

 特に、経済学的な思考の中では、人々が持つ「期待」が経済にどのように影響するかが注目される。例えば、同じ水準の金利であっても、将来物価が上昇すると期待される場合と、物価は上昇しないと期待される場合とでは、経済主体にとっての意味が異なる。

 こうした意味での「期待」が特に注目されたのが、2013年の黒田東彦総裁が就任して以降採用された(実質的には2012年の暮れには始まっていたが)大規模な金融緩和政策の下だった。この政策は、そのメニューの中に人々の「期待に対する働きかけ」を明確に組み入れていた。

日銀「期待に働きかける」金融政策

「日銀は、2%程度のインフレ率の実現を目指すので、そのインフレ率は実現するはずだから、そうした期待(=予想)の下に行動することを国民にお勧めする」といった趣旨のメッセージを日銀は発し続けた。例えば、賃金交渉や、投資や消費の意思決定の参考にして欲しいという趣旨で、当初は「通貨供給量を2倍にして2年後には、2%のインフレ率を実現する」と「2」を3つ並べて国民に訴えかけた。通貨供給量の増大がインフレに対してプラスに作用することに加えて、「日銀は2%のインフレになるまで金融緩和政策を行う」と国民に信じて貰うことが、その政策を後押しするという建て付けだった。

 日銀は、国民の「期待に働きかける」領域に踏み込んだのだ。つまり、国民の予想を変えようとした。

 投資の世界では、自分の利益のために他の投資家の予想を変えようとして情報を流すと、場合によっては「風説の流布」などの不正に問われかねない。しかし、日銀の国民が持つインフレ期待に対する働きかけは、政策の実現を目的としたものであり、政策の中間目標である「2%程度のマイルドなインフレ」が望ましいということについて、大方の合意が得られていたので、この政策に対して反対の声は大きくなかった。

 ところが、その後、日銀は大規模な金融緩和政策を続けたが、2014年と2019年の二度に亘って消費税率引き上げが行われるなど財政政策が緊縮的な方向に変化したこともあって、「2%」のインフレ目標はなかなか達成されなかった(注:筆者の解釈である)。

 ここで日銀は微妙な立場に立たされた。本来財政政策の協力があることが望ましかったのだが、「日銀の金融緩和だけでは2%の達成は難しい」と情報を発信すると、国民は「2%は達成出来ない」との期待を形成しかねない。日銀が発信する情報の期待への働きかけがマイナスの効果になってしまう。

 そこで日銀は、「日銀の金融緩和だけで2%のインフレが達成出来る。必要があれば追加の金融緩和を行うし、そのための有効な手段はある」といった趣旨のメッセージを発し続けることになった。加えて、そのメッセージを信じて貰うために、現実に金融緩和策を出してみせる必要が生じて、その結果、YCC(イールド・カーブ・コントロール)やETF(上場型投資信託)の買い入れといった、必ずしも適切ではない政策にも足を踏み入れたのではないだろうか。

「期待に働きかける」政策は画期的であったが、一方で、それ自体が日銀の行動を制約した。本稿は2022年の年末に書いているが、来年の春に予定されている新しい正副総裁の体制下では、期待に対する働きかけは意識しつつも、例えば、財政政策の協力が必要であればその必要性を率直に訴えるような、新しいコミュニケーションの形式を日銀が確立してくれることを望みたい。

 日銀だけでなく、米国のFRB(連邦準備制度理事会)なども「市場との対話」などと称されて、市場参加者の期待に対する働きかけが注目され、時には批判を浴びることもある。

 政策当局にとって国民の期待への働きかけが難しい場合があるし、政策当局だけでなく、例えば、企業の株主や投資家に対する情報発信にも同じような難しさが伴う場合がある。

 投資家は、さまざまな意味の「期待」と直面しなければならないが、状況毎の意味を正確に理解して、賢く対処して欲しい。

「2023年が、投資家の皆さんにとって良い年であることを期待します!」。