1997(平成9)年11月24日

山一証券倒産

 1997(平成9)年11月24日、当時「四大証券」の一角を占めた山一証券が自主再建を断念し、廃業を決めました。その後、バブル崩壊後の不況が一段と深刻化しました。

 山一証券の創業は倒産100年前の1897年。旧安田財閥を核とする芙蓉グループと親密な名門証券会社でした。1965年の証券不況時に経営が悪化。その時は日銀から無担保・無制限の「日銀特融」を受けて息を吹き返しました。

 しかしその後、多額の損失隠しが露見。山一証券はバブル期に、株式などの値下がりを埋め合わせる「損失補てん」契約を顧客企業と結んでいました。顧客から引き取った株式は、相場の下落を受けて含み損を膨らませましたが、これを隠すため、買い戻し条件付きで別の企業に引き取らせていました。決算書に載せないのが目的で、「飛ばし」と呼ばれる手法です。

「飛ばし」が週刊誌などに報じられると、山一証券は金融市場での資金調達が困難になり、大蔵省の意向も強く働いて自主廃業に追い込まれました。損失額は2,720億円でした。

 

1997年11月24日の日経平均株価終値は

16,721円58銭

※1997年11月24日は休日のため、前営業日の終値。