米ボストンで迎えた日中国交正常化40周年
本日、2022年9月29日、日本と中国が国交を正常化した日からちょうど50年を迎えます。50年というのは節目といえる年月であり、2003年高校卒業後、何も持たない、誰も知らない、中国語も喋れない中、単身中国へ向かった人間として、この年月の経過を前にして、感慨に耽らないわけにはいきません。
いまから10年前の2012年9月、私は米国のボストンにいました。10年過ごした中国を離れ渡米し、ハーバード大学で中国研究を開始したところでした。中国の国内政治と日中関係には不思議なつながりというか、「ご縁」があります。政権が江沢民(ジャン・ザーミン)から胡錦涛(フー・ジンタオ)政権に移行した2002年、日中は国交正常化30周年、胡錦涛政権から習近平(シー・ジンピン)政権に移行した2012年には40周年を迎えました。内政と外交のダイナミクスとでもいえましょうか。
そんな2012年の9月、日中関係は尖閣諸島を巡るいわゆる「国有化事件」で荒れに荒れました。事の経緯を簡単に振り返ります。
同年4月、訪米中の故石原慎太郎東京都知事(当時)がワシントンで突然「東京都は尖閣諸島を買います」と発言したのがきっかけで、結局日本政府が国として尖閣諸島を同島の保有者(民間人)から買うことになるのですが、この行為を巡って「国有化」という言葉が一人歩きし、それを「一方的な現状変更」と捉えた中国が猛反発。中国各地で大規模な反日抗議デモが起こり、40周年の年に、日中関係は「国交正常化以来最悪」とやゆされるほど不安定化したのです。
そんな様子をボストンの地から眺めていましたが、鮮明に覚えている場面が二つあります。
一つは、私の恩師ともいえるハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル名誉教授(1979年に出版され、日本でもベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』著者)が、私との議論で、「いま日中間に最も不足しているのは機能的なパイプだ。この危機的状況を解決するためには、いかなる状況でも率直に話ができる人と人のパイプラインが不可欠だ」と述べられていたこと。ヴォーゲル先生は2020年12月に亡くなられましたが、「最後に問題を解決するのは人なのだ」という言葉は日中関係に対する先生からの遺言であるように思います。ヴォーゲル先生の遺作を、共著者として日本で出版したことは、私にとって人生最大の思い出となっています。
二つ目が、国交正常化40周年に際し、NHKが企画した特別番組に、ボストンからゲストとして出演したことです。東京のスタジオからは、天児慧・早稲田大学教授(当時)が出演されました。中国研究の大先輩である天児先生を前に、私は次のように問題提起しました。
「1972年以降の40年、日中は主として国家間の関係を正常化すべく歩んできた。国民国家という言葉がある。これからの40年、日中は国民間の関係を正常化すべく、相互の交流を通じて、相互の理解を促進し、相互の信頼を醸成していく必要があるだろう」
私なりにじっくり考えた上で発した見解でしたが、天児先生がうなずきながら、「後輩から教えられますね」とリップサービスをしつつ、激励してくれたことがとてもうれしかったのを覚えています。
あれから10年がたちますが、私の基本的見解は変わっていません。この10年で、日中両国民の間の相互理解・信頼は進歩したでしょうか。皆さんも考えてみてください。官民を超えて、世代を超えて、業界を超えて、多角的、積極的な交流を愚直に続けることでしか、真の日中友好は達成し得ないのだと思う、今日この頃です。