ソロスとロジャーズ

 さて、書籍に戻ろう。この本は、かつてあまり語られる事がなかった、クオンタムファンドを一緒にやっていたジョージ・ソロス氏とジム・ロジャーズ氏が袂を分かった経緯を説明している。

 SEC(米国証券取引委員会)からソロス氏に相場操縦の嫌疑が掛かり、これに対してソロス氏が潔白を主張して争うのではなく、司法取引で曖昧に済ませたことがきっかけで、ロジャーズ氏はソロス氏から離れた。職業倫理に相容れない違いがあったということだ。これが、ロジャーズ氏側からの理由説明だ。

 但し、この種の話は、両方の当事者の話を聞かないと、本当の理由やことの善悪は判断できない。

 一方、ソロス氏とロジャーズ氏の市場参加者としてのプレイスタイルの違いは興味深い。

 ロジャーズ氏が現地に足を運び資料を読み込む「投資対象」を見ようとする人であったのに対して、ソロス氏は市場を相手にポジションを取る、言わば「市場参加者」を見る人だったように思う。かつて、イングランド銀行がソロス氏に手の内を見透かされて大損した話は有名だ。

 第三者的に見ると補完的でいいコンビであったように思うのだが、なにぶん生身の人間のことだ。両者の決別には、個人の投資スタイルや倫理観とは別の要因があったのかも知れない。

 ただ、投資にあってアクティブ・リターンを目指すアプローチとして、「投資対象に注目するアプローチ」と「市場参加者に注目するアプローチ」の二種類があることは意識しておく方がいい。折衷案を採用してもいいのだが、自覚的に使い分けないと、自分が何を根拠に投資しようとしているのかが分からなくなる。

 ところで、二人が関わっていたクオンタム・ファンドの成績なのだろうが本の帯にある「運用成績4200%」といった運用成績の数字に驚いてはいけない。もちろん彼らの運用が優れていたことはその時の事実として素直に評価していいのだが、ヘッジファンドはレバレッジを掛けた運用を行っているので、これくらいの数字は十分にあり得る。

 尚、ヘッジファンドの運用者にソロス氏のような大金持ちが多いのは、ヘッジファンドの成功報酬(典型的には値上がり益の2割)が金融論的には「コールオプションを手に入れておいて、その原資産のボラティリティをレバレッジで拡大する」(注:オプションの理論価値を「自分で」上げることが出来る)といった、言わばお手盛りの、半ば「ボッタクリ」のビジネス構造を持っているからだ。この点は、筆者がジョージ・ソロス、レイ・ダリオといったヘッジファンド界の大物を高く評価する気になれない理由の一つだ。

ジム・ロジャーズの投資法に欠けているもの

 この書籍の面白い点の一つは、ジム・ロジャーズ氏やジョージ・ソロス氏の投資に対する考え方に加えて、監修・解説を担当された林康史氏の投資に対する考え方が見え隠れする点だ。

 林氏は立正大学経済学部の教授だが、ジム・ロジャーズ氏と古くから親交があり、彼の考え方を深く理解している。加えて、かつて生命保険会社や投資信託運用会社で運用の現場にいた人だ。筆者はごく短期間だが同じ会社で働いたことがある。

 仕事として運用に関わっていた人だけに、例えば、先に触れたように証券会社のアナリストのレポート内容が薄いことや、「耳寄り情報」の類が役に立たないことについて、経験に基づく実感を伴った理解がある。これらの点について、ジム・ロジャーズ氏と林氏は完全に同意見だ。

 また、興味のある方は書籍を見て欲しいが、林氏は、日本の一般投資家がロジャーズ氏のように企業のアニュアルレポートを分析する方法について、アプリの紹介も含めて解説している。

 林氏が、本書の解説文にあってジム・ロジャーズ氏の投資法について心配するのは、「損切り」に対する明確なルールがない点だ。林氏は、読者に対して「損切りルールを決めておき、早々に撤退することをすすめる」と書いている。ロジャーズ氏もそうした方がいい、と思っているのではないだろうか。

 推察するに、林氏は、現場の運用者としては外国為替取引の経験が長いので、「損切り」の重要性に敏感なのだ。

 株式投資はリスク負担に対するリスク・プレミアムが期待できる対象なので損切りは傾向としてやや不利な意思決定になりやすい。他方、外国為替取引はリスク負担に対するリスク・プレミアムが期待できないゼロ・サムゲーム的な世界にあり、プラスの根拠のないリスクを取る事が例外であるべきなので「損切り」が重要だという理屈上の違いがある。

 株式でも短期のトレードではゲームの質がゼロ・サムゲームに近づくので、「損切り」をどうするかは、よくよく考えておく方がいい。

 筆者は、ジム・ロジャーズ氏の投資法について具体的に知っているわけではないが、「損切り」や「資金管理」に加えて、おそらく分散投資の利用法に方法論的改善余地があるのではないかと推測しているのだが、どうなのだろうか。かのジム・ロジャーズ氏といえども、投資家として万能という訳ではない。

 書籍には、ジム・ロジャーズ氏の投資法の紹介にとどまらず、林氏独自の「天底の見分け方」といった解説もある。同氏はチャート分析に詳しく、チャート分析をいくらか有効であると考えているようだ。

 一方、ジム・ロジャーズ氏と筆者は、この点についてはなぜか強力に一致する。チャート分析の有効性に対しては懐疑的だ。

 林康史氏は解説に「ロジャーズは、チャートを見て、その後の相場の動きを読めるということが理解できないという」(前掲書p159)とはっきり書いている。さて、読者は、どのように考えるか。

 久しぶりに本を読みながら、投資についてあれこれ考えた。投資を考える素材として大変いい本だった。