儲けた金で、いい生活をしたい。どんな動機でもいい


 話が核心に迫ったとみえ、先生の口調は熱を帯びてきた。

「では投資を通じて、経済的に豊かになろうとすることの意味を考えてみましょう。多くの人は、大金持ちになりたいというのではなく、もう少しおカネがあれば、もう少し余裕のあると生活をしたい、と思って暮らしているのだと思います。あなたもそういう人ではないですか?」

 先生との会話の中でようやく我が意を得たと「その通りです!」と隆一は答えた。

「それで結構!自分を卑下する必要はまったくありません。資本主義では、おカネを欲しがることは決して恥ずかしいことではありません。自分が稼ぐことが世の中のためになるというのが資本主義の発想です。裏を返せば、自立しよう、社会に役立とう、という倫理観が先にあるはずだ、ということです。その倫理観がないと、投資も単なる小遣い稼ぎになります。」

「急に倫理観なんて話が出てくると、ちょっと混乱します」

「資本主義は金儲けをする人を当然否定はしません。ただ、近江商人のいう“三方よし”に代表されるように、自己の利益、顧客の利益、社会の利益が一致しないとそのビジネスは永くは続かないのも事実です」

 隆一は確かにその通りだと思った。先生から小遣い稼ぎの方法だけを学ぶよりも、長期投資をすることで、それが社会に役立ち、自分の資産も増える仕組みがあるならば、知りたいと感じた。このように思ったこと自体、隆一にとっての静かな変化だった。

 とはいえ、“人はパンのみにて生きるにあらず”という言葉もある。単なる金儲けの勉強という動機だけで、「一杯どう?」という誘いを振り切って毎週金曜日の夜にここに通い続けられるか自信が持てない、というのが彼のいまいまの本音だろう。