相場材料の2面性

 市場参加者の意識が、足元の金融相場局面の立ち位置を超えて、業績相場から逆金融相場まで先走ってしまうと、それぞれの局面に特有の材料解釈も混在しがちです。経済指標など通常であれば、経済、相場の先行きを判断する手掛かりの解釈も安定せず、変転しやすくなるでしょう。

 最近の米長期金利がその好例です。2~3月に長期金利上昇で、株式相場は早くも終わってしまうかという論調もありました。筆者は、景気回復局面前の長期金利の上昇は、まさに景気回復に向かう証しであり、株式相場がここで台無しにされることはなく、「長期金利過敏症」は早晩一服するとの見方を強調しました。

 しかし、景気加速が極端なこと、グロース銘柄を筆頭に株式相場はこれまで低金利の恩恵を目いっぱい享受してきたことを勘案すれば、市場が金利上昇を怖がることもうなずけます。恐怖のあまり、相場が自ら崩落する「事故」のリスクも完全には排除できません。

 こうなると、多くの相場要因・材料の解釈が明暗両面に振れて、変転しやすくなります。財政政策が発動されれば、基本は景気にプラスという「明」、しかし景気加速、インフレ・リスク、長期金利上昇への懸念が「暗」とされかねません。金融緩和も、基本は金融相場の後ろ盾として「明」ですが、やはり、インフレを招いて、自ら緩和の「出口」として量的緩和の縮小(テーパリング)を早めるのではないかと、「暗」への警戒を招くことも。

 ここまで来ると、株式相場の上昇自体も、「金融緩和+景気回復に伴う業績改善」から当然とする「明」にとどまらず、バブル懸念、金融緩和出口論を喚起してしまう展開もあり得ます。当局者が株高に対して、けん制発言する場面もやがてありそうです。

 要は、同じ材料でも、その材料自体の明暗の評価ではなく、相場の地合い自体が明暗の解釈を決めやすくします。例えば、相場が上昇して含み益が増加し、次に相場の勢いが鈍化すると、「なんか儲(もう)からなくなった」と漠然と不安がにじみ出るにつれ、「暗」の解釈が気になり、実際に相場が下がると恐怖に駆られるといった具合。相場が値上がりして明の解釈に得心がいく「よい予測」ほど、相場にシラッと裏切られがちという現象が、来るステージでは強く現れやすいとみます。