3.明日は明日の風が吹く

 この格言は、効率的市場仮説を詩的に(?)言い換えたものだと考えることが出来るかも知れない。

 (A)今日までの情報は今日の株価に織り込まれている。(B)明日、何が起きるのかは分からない。(C)明日生じた情報は、明日の株価に織り込まれるであろう、…。

 短期間の株式リターンを予測することは出来ず、結果的に、株価は概ねランダム・ウォークする。ノーベル経済学賞を受賞したユージン・E・ファマが若かった頃に描き出した世界だ。

 やや投げやりに聞こえるニュアンスは、相場格言にふさわしくないかもしれないが、今日までの情報は今日の株価に織り込まれているはずだ、と先ずは考え、その可能性が大きいと思いながらも、例外を探すというのは、投資家・運用者として正しい態度だろう。

4.見切り千両

 これもいかにも相場格言だ。損切りの重要性を強調している。

 トレーダー的な仕事の実務家にとって、現実に損切りが重要であることは、幾ら強調しても強調しすぎることはない。損切りが出来ないと、クビが飛ぶかも知れないし、クビが飛ばなくとも、顧客や会社に大きな迷惑を掛けるかも知れない。一定以上の経済的惨事を避けるために、必要とあれば損切りが抵抗なく出来ることは、プロの最低条件だ。

 加えて、一般に人間は、自分の買値よりも下の株価で損切りの売りを実行することに対して強い抵抗感を持つ。こうした事情を上手く説明するダニエル・カーネマンのプロスペクト理論は、行動ファイナンスの代表的な業績の一つとして有名だ。

 但し、例えば、株式投資家が、自分の買値を基準に、「1割下がったら」あるいは「2割下がったら」売るという、損切りルールを作ってこれを墨守することがいいかというと大いに疑問がある。

 端的にいって、一投資家の「自分の買値」は、株価の将来の動きに影響を与える材料ではない。機械的損切りは、自分の「気持ち」が株式のリターンに影響を与えていると考えるがごとき、いわば「天動説的錯誤」だと言える。

 また、企業の状況や投資環境が悪化していないのに、株価だけが下がったのだとすると、株価が下がった現在の状態は、前にその株を買った時よりも期待リターンの高い魅力的な状態になったのだと考えることも出来る。

 少なくとも、「自分の買値を基準に一定割合株価が下がったら売りと事前に決めておく」というルールよりも「株価が変動した後の情報を最大限に利用して、その時に判断する」というルールの方が、情報をポートフォリオの状態を最適化するために利用する観点からして、より合理的だ。

 実は、「損切り」は自分の持っているリスクが、最適な状態ではないと考えられる場合に必要な行動である。

 この場合、自分の持っているリスクが最適な状態を判断するためには、リスクの内容が「リスクを取ることに対する報酬があると期待出来る『投資のリスク』」なのか「リスクを取ることにプラスの報酬を期待出来ないゼロサムゲーム的なリスクである『投機のリスク』」なのかが、深く関係する。

 端的に言って、資産形成のための株式投資の場合、機械的な損切りを頻繁に行うことは適切ではない(尚、株式の短期トレーディングでは、リスク・テイク自体が最適状態からの乖離であり、リターン変動の大半が投機的な影響によるものなので通常の株式運用とは異なるから、個人投資家は、気兼ねなく損切りしながら遊んでよい)。

「見切り千両」の相場格言としての評価はなかなか微妙だ。

5.一寸先は闇

 この格言は、「明日は明日の風が吹く」のより短期バージョンとして、効率的市場仮説を語ったものだと解釈出来るかも知れないが、「闇」という言葉に力点を置くなら、「ブラック・スワン」の存在に対する警句と解釈出来る。

 相場の世界にあって、ブラック・スワンとは、通常では想定出来ないような事態が時に存在することを指す比喩である。近いところでは、金融危機にあっての相場変動は、通常のリスク管理の想定を超えたブラック・スワン的なものだったという人もいる(他方、確率的に考えるとして、−2標準偏差よりも大きなマイナスになる事象は確率は小さいが十分起こり得るから、金融危機程度のことは不思議ではないという意見もある。筆者は、ややこちら寄りだ)。

 金融危機がブラック・スワンかどうかについて意見が分かれるとしても、時に「想定外!」のことが起こる可能性があることを投資家は絶えず思い出して、自分の理解や常識を疑ってみる必要がある。

 また、「リスクを計算する」時に、多くの場合、使うデータは過去のデータだが、将来のリターンの分布が過去のパターンを踏襲するとは限らない。将来は、過去の単純延長ではない。また、歴史は繰り返すことがあるが、繰り返しであることが保証されている訳では一切無い。

「一寸先は闇」の最も有名な用例は、確か、かつて自民党の副総裁を務めた故・川島正次郎氏の発言として伝えられる「政治の世界は、一寸先が闇」だろう。しかし、これを相場格言として読み直すことにも大いに意義があるように思える。

6.七転び八起き

 七回失敗しても、八回目にトライするという、この格言は、人生でもかくありたいと思う内容を含んでいるが、8回目のチャレンジが可能だということは、7回目までの失敗が致命傷にならなかったということだろう。

 些か苦しい解釈かも知れないが、この格言は、リスク管理の重要性を物語るものだ。

 運用計画、特にアセットアロケーションと呼ばれる資産分類ごとの配分計画を策定する上では、「失敗しても許容出来る範囲の中で、最適な運用リスクを取る」(注:最大限目一杯までリスクを取る必要はない)のが、現実的で無難な考え方だ。

 時にある間違いでよくあるのが、「必要なリターンを、最小限のリスクで目指す」とする運用計画で、小は三流FPのアドバイスから、大は公的年金の運用計画まで、広い範囲に存在する。何れも、十分起こり得るマイナスの事態に対して具体的な想定や説明を行わず、その事態が起こった場合の具体的な対応策を欠いている点で、無責任と言える困ったものだ。

 個人投資家の運用は、自分のお金なのだから、仮に相場が七転びしても、八起き目に運用を継続出来るように行うべきだ。

7.石の上にも三年

 これは、相場の世界から生まれた格言ではなさそうだが、長期投資の勧めだと解釈すれば、十分に筋の通った相場格言だ。

 いかなる優良企業といえども、利益を稼ぐ時間を十分与えられるのでなければ、投資家の期待に応えうると自信を持って言えるものではない。投資家は企業に時間を与えなければならない。企業は、投資家から時間を借りる。

 投資の本質とは、「売り買いをすること」ではなく、「持っている(資金を資本として提供している)」ことだ。

 長期投資の意義を強調する人は、「三年では足りない」、「石の上にも三〇年、がいい」と言うかも知れないが、企業についても、経済についても、三年よりも先(いや、二年よりも先かな)のことなど分からないのが投資家の現実なのだから、目線の置き所を三年先くらいにするのは、ほどほどであるように思う。

 分かりもしない先を好都合に決めつけて、「三〇年株を持てる会社」などというものを想定するのは、知的に誠実な態度ではないし、よくある運用会社の宗教法人的マーケティング戦略の一環だとしても、程度の良いものではない。

 投資にあっては、「信じる」こともほどほどでなければならないのだ。

 何となく気が利かない感じもある格言だが、好意的に解釈すると、相場格言として案外悪くない。