中国人にとって「春節」とは何を意味するか?
約18年間、中国人と付き合ってきた経験からすると、中国の人々は「家族」「家庭」をとても大切にします。もちろん、家族や家庭を大事にするのは、中国人だけではありません。
過去に、政治的、経済的に困難な状況にある国を訪れたことがあります。ベネズエラのカラカス、キューバのハバナ、パレスチナのベツレヘムなどで、現地の家庭にお邪魔しましたが、家族の絆は非常に強いと感じました。親戚を含め、みんなで一丸となって難局を乗り越えようという、意志、信念、そして行動力を感じさせられました。
ただ、中国人にとっての「家」というのは、それらとは一味違うというか、特殊な角度から理解しないと、その実態がつかめないように思うのです。
例えば、中国には「修身斉家治国平天下」という「礼記(儒教の経書で「五経」の一つ。主に礼の倫理的意義について解説した古説を集めたもの)」に由来する言葉があります。天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭を整え、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである、という教えです。
中国では、国家統治は家庭整理の延長であるという考えが普遍的で、政治にも「家父長制」的な考えが深く浸透しています。中国共産党という「お上」は絶対的な存在であり、最高指導者である習近平(シー・ジンピン)氏は、14億の人民にとっての“お父上”たる権威的存在なのです。
「家」という概念は、中国政治(の盛衰)を理解する上で極めて重要であると私は考えています。と同時に、「家」は、中国経済の行方を追う上でも特別な要素であると考えます。
若干飛躍的な表現を使えば、中国人の生きざまという意味で、不動産市場と株式市場は、同等ではないのです。以前、本連載で紹介したように、中国では投資目的で不動産を購入する人がたくさんいます。いわゆる富裕層だけでなく、中産階級であっても、また農村部で生活する人にとっても、不動産という資産は、特に経済が上向いている間において、魅力的な投資対象であるようです。この傾向はしばらく続くでしょう。
ただ、「家」という住宅、不動産は、中国人にとって、投資の対象である以上に、人生の基盤を意味するというのが私の理解です。家族みんなが帰ってくる場所、苦楽を分かち合い、寄り添える空間、それが家なのです。
そして、春節というのは、普段は全国各地、世界各地で生活している家族(ここには親戚も含まれる)が、1年に1回だけ集結する時期であり、そのためになくてはならない空間が「家」なのです。不動産と株式が、中国人の人生にとって同等であるはずがない、両者は別次元の存在と私が断言する所以(ゆえん)がここにあります。
私が見る限り、中国の人々は、春節期間中の「回家(帰省)」をとても楽しみにしています。そのために、日々つらいことにも耐えているように見受けられます。中国人にとっての1年、365日は、春節とそれ以外の日常という二つで成り立っているといっても過言ではないのです。