中国の政府官僚や経済学者は自国の統計を信じているのか?

 2017年、私は遼寧省瀋陽市にある遼寧大学で教べんを執っていました。その間、頻繁に高速鉄道で北京へ出張していたのですが、ある日、国家発展改革委員会、国家統計局の中堅幹部、そしてこれらの政府機関に提言する立場にある政府系シンクタンクや大学の経済学者ら6人と議論する機会がありました。

 そして、統計の信ぴょう性の話になり、彼らが内心では現状をどう受け止めているのかを思い切って聞いてみました。全員が、「我が国の統計には問題がある」と断言していました。一方で、特に制度が未発達の中国のような国において、統計と景気はある意味、別物だという指摘が興味深かったのです。

 そのとき、湖北省出身の経済学者が次のように描写しました。

「仮に国家が最終的に発表したGDP成長率が前年比8.0%増で、ただそこには0.5%の“水分(中国語で「水増しされた分」という意味)”が含まれていたとしよう。中国ほど巨大な“経済体”で0.5%もの誤差があるのは大いに問題だ。信ぴょう性が傷ついても仕方あるまい。一方で、中国には、正真正銘発生している、少なくない経済活動が統計に反映されていない。例えば、全国で無数にある道端での商売だ。領収証もなければ、税金も納められていないのだ」

 この学者は、これらの実態を「制度的欠陥」「未熟な経済体」とした上で、改善すれば政府の財政収入は増え、統計の信ぴょう性も増すと指摘しています。

 確かに、これまで中国を見てきて、市場で物議を醸している統計と、人々の生活現場で体感する景気との間に「誤差」を感じることはしばしばありました。「制度的欠陥」や「未熟な経済体」が作用した結果なのでしょう。

 地方や農村部に行けば行くほど、どう見てもGDPに換算されていないとしか判断できない現場が、無数に存在します。人々は、仕事へ行く前に、道端やバス停の近くなどで、おかゆ、豆乳、肉まん、中国風のからいクレープといった朝ごはんを買います。いまでは現金だけではなく、キャッシュレスでの購入も普通ですが、これらの労働や消費は統計局が公式に発表するGDPにはまったく反映されていないといえます。

 また、中国では兼業や副業は当たり前で、大小いろんな業務がある副業、兼業をまったくしていないという中国人を、私自身ほとんど知りません。それらの「業務」が経済活動としてきちんとカウントされているのかといえば、大いに疑問です。

 繰り返しになりますが、これらの実態や現象は大いに問題であり、中央政府としても制度的側面から改善していかなければなりません。経済構造の健全化、中国経済の信ぴょう性向上という意味で極めて重要でしょう。

 一方で経済の統計とは、本来的に景気の実態を測る、知るための手段であるという側面もあります。その意味で、信ぴょう性が疑問視される統計だけを“鵜吞み”にして、中国経済の実態を判断するのもまた危険であるといえます。

 これが私の現段階における総括です。そう考えると、中国経済の実態を的確に把握するためには、中国政府が発表した統計を見る、国際機関や海外の研究所、経済メディアが発表する予測や分析を参考にするといった常とう手段以外に、中国で無数に存在する経済活動の現場に足を運び、景気を実際に感じてみることもまた重要なのではないかと思うのです。