中国国家統計局課長がハーバードで漏らした本心
「日本人である加藤さんには分からないと思いますよ。仮に我々が、全身全霊を込めた仕事をし、限りなく100%に近い正確な統計を算出、発表したとしても、中国政府が出した数字だからという一点で信用されないのですから。国家の属性ではなく、仕事の内容で、信用するのか否かを判断してほしい。それが私たち現場の思いです」
2012年9月から2年間、私はハーバード大学のケネディスクール(公共政策大学院)とアジアセンターで仕事をしました。このとき、同僚で中国国家統計局の現役課長が、仕事帰りにキャンパス内を散歩しながら、私にこうつぶやきました。彼も中国の政府官僚、しかもそれなりに重責を担う課長という立場の人間ですから、出会った当初は身構えている感じでした。しかし、私が英フィナンシャル・タイムズ中国語版に毎週書いていたコラムを、彼が読んでくれていた経緯が功を奏し、何回か話すうちに徐々に打ち解け、かなり本音ベースで話ができる間柄になりました。
上記の言葉は、彼の本心だと思います。私自身、これまで北京を中心に中国各地、米国ボストン、ワシントン、香港など世界各地で中国の官僚と付き合ってきましたが、その絶対多数は非常に優秀、勤勉で、礼儀正しい人たちです。
官僚以外にも、学者、メディア関係者、実業家、ベンチャー起業家、そして学生など数多くの中国人と仕事をしたり、会って話をしたりしてきましたが、中国において、官僚という人種(特に軍人)は、最も付き合いやすいというのが私の「本心」です。人間として出来ている、品性と素養を持っている、時間を守る、言ったことは必ずやる…そう感じてきました。
もちろん、彼ら・彼女らが政府を代表する立場にあることで、日常的に自らの振る舞いに特に気を付けなければならないこと、特に私のような「筆」を執る外国人の前では、特に厳格に自らを律しているという側面もあるでしょう。中国の公的機関で腐敗が問題視されてきた経緯も明らかです。
ただ、私がここでまず1点目として指摘したいのは「中国」、特に中国共産党の政策や言動を、言論弾圧や領海侵犯行為、反日デモやギョーザ中毒事件などをめぐる各種報道を根拠に、信用できないという感想や判断が蔓延(はびこ)る一方で、現場で働く官僚の多く(例外も当然いますが)もまた「被害者」である場合が多々あるということ。英国作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』を彷彿(ほうふつ)とさせるような、「党」という魔物の恐怖におびえながら、限られた権限の中で、自らの仕事が公正に評価されることを期待しながら、現場でできる努力をしている、というのが私の偽りない実感です。
前出の統計局課長もその一人でしょう。自らが生涯を捧げた仕事を一生懸命やり、結果を出したとしても、共産党一党支配下の社会主義国の役人であるという理由だけで周りから信用されない。まじめに、純粋に海外で勉学に励んでいる中国の若者が、共産主義国家から来た留学生という一点でスパイ扱いされるのと、論理と構造は一緒です(私が見る限り、信用されなくて当然、スパイ扱いされてしかるべき当事者も少なくありませんが)。
党はこの論理と構造を打破すべく汗をかかなければいけない。中国が国家として最も欠けている、故に早急に、本気で解決しなければならない問題が「信用」だと私は常々、言ってきました。
信用されるために、何をどうすべきか。
政治、経済、外交、軍事などを含め、習近平(シー・ジンピン)総書記率いる中国共産党指導部は、常にこの点を最大の基準にして政策を立案、実行、評価すべきだと思います。それも、中国国内でしか通用しないチャイナ・スタンダードではなく、国際社会から理解、尊重されるグローバル・スタンダードをもって、です。さもなければ、いつの日か、現場が内部から瓦解(がかい)していく統治リスクに見舞われる可能性も否定できないでしょう。