運用を「人」に任せるな

 高齢者の特色として、運用に関する意思決定を、自分が信頼できると判断した人物(多くは金融マン)に任せようとする傾向がある。もちろん、世の中にはいい人も悪い人も居て様々だし、人に対して好き嫌いがあることは構わない。

 しかし、お金の運用に関する判断を他人、特に、金融商品(この場合、各種の生命保険も含む)を売る立場にある人に任せようとすることは間違いだ。

 しかし、投資家にしても、経営者にしても、人間は歳を取ると、しばしば自分には人間の良し悪しを判断する能力があると思い込もうとする傾向がある。しかし、自分にそのような判断力があると思うのは、殆どの場合間違いだし、特に投資家として金融機関のお客になる場合、自分を担当する金融マンを「信頼できる人だろうか?」という観点で判断しようとするのは、間違いだ。

 例えば、あなたは、(A)「真面目で有能な金融マン」と(B)「そうではない金融マン」のどちらに自分の資産の運用を任せたいだろうか。

 実は両者は甲乙付けがたいくらい不適当な相手なのだ。真面目で有能な金融マンとは、社員としては効率良く手数料を稼ぐ、顧客にとって手強い相手であり、逆に、不真面目だったり、無能だったりすると、この場合も資産の管理が適切に行われない可能性が大きい。

 第一に、自分のお金を「信頼して、任せる」という発想が不適切なのであり、お金の運用は自分が納得できる範囲の中で自分で決定しなければならない。それが難しいと感じられる場合は、第二に、「相談」は、投資信託や生命保険などを売る、ないしは仲介して手数料を取る可能性のある相手にしてはいけない。例えば、そうした可能性が一切無い、金融機関から完全に独立したファイナンシャル・プランナー(FP)に、相談料を支払って相談するならいいかも知れない。但し、FPも知識レベルや得意分野、さらにビジネスモデルなどが様々なので、複数のFPに相談してみるのがいいかも知れないし、最終的には、お金の運用は、自分で納得して、自分で決めるべきだ。

 些か手前味噌になるが、当社のようなネット証券の最大の長所は、セールスマンからの働きかけが無いことだ。筆者は、高齢者こそ、ネット証券で運用することが向くと思っている。

財産の在処を共有せよ

 さて、あまり楽しくない話だが、高齢者には、自分が急に認知症になったり、或いは急死してしまったりするリスクがある。あるいは、自分でも、周囲もが、まだまだしっかりしていると思っていても、たとえば所謂「へそくり」などの在処を忘れることが起こりうる。

 本当は、高齢者の場合、どこに(どの金融機関の、どの口座に)何を持っているかを、逐一自分が信頼できる人(身内であることが多いだろう)に把握しておいて貰うのがよい。例えば、信頼できる息子に金融資産の内容を把握して貰っている父親は、金融機関の不適切なセールスに引っ掛かりにくいだろう。

 だが、一方で、高齢になっても、自分の資産の内容を、身内と言えども詳細に把握されることには抵抗感を持つ場合が多いことも想像に難くない。

 両論の間の最適な落ち着き所は人によって異なるのだろうが、最大公約数的な妥協点を提案すると、「自分の財産がどこにあるか、ということだけは、信頼できる誰か」(信頼できる人がいない場合でも、相続人の誰か)と共有しておくべきだということだ。

 例えば、銀行の預金は、資金に動きのない休眠預金となって10年以上経つと、それ以前のデータを本人や遺族が追うことが難しくなる場合がある。

(1)自分にとって信頼できるのは誰か、(2)信頼できる人をどうしたら持つ事が出来るか、ということは読者の人生の課題として、筆者ごときの力量を超える大問題だが、「財産の在処」だけは、後から分かるようにしておきたい。

【コメント】

 2017年に書いた記事だが、高齢期の資産運用というテーマにこの頃から興味を持っていたので、「今ならこれを付け加える」というポイントが2つある。

 先ず、高齢期には「意外にリスクを取っても大丈夫だ」という説明については、文中にある「人的負債」が高齢期にあって小さい場合があることを、もう少し明示的に説明するだろう。もう一点は、高齢後期にあって認知症になった場合の対策が必要なことで、成年後見制度の注意点を付け加えるだろう。「財産管理等委任契約」と「任意後見契約」(それぞれネットで調べて下さい)の2つを予め手配しておくことが大事だ。

「インカムゲインに拘るとダメなこと」と「金融マンなど他人に運用を任せてはいけないこと」の2つは現在でも全く同じだ。奇数月分配型の投資信託、ラップ運用などは、商品と種類を問わず「全て」止めた方がいい。
(2021年1月29日 山崎元)

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