戦後、日本企業は物凄いスピードで成長してきました。パナソニック、ソニー、本田技研、トヨタ自動車など、多くの日本企業が世界市場にどんどん進出して商売を大きく成長させてきました。1960年代から1980年代にかけて、日本経済は黄金期だったのは間違いありません。

 ところが、バブルの崩壊を経て日本企業の成長はストップしてしまいました。その理由としては、バブル期に行った過剰な投資が仇になったからとか、資産価格が下落したからとか、多額の不良債権を抱え込んだ銀行が融資を抑えたことで中小企業の倒産が相次いだからとか、いろいろな理由が取り沙汰されますが、私に言わせればどれも的外れです。最大の理由は、多くの日本企業が発展途上国型のビジネスモデルから脱却できなかったことにあります。

 発展途上国型のビジネスモデルとは、特に家電製品などは典型的ですが、大量生産によってコストを引き下げ、最終的に製品価格を安くして、世界中に売りまくるという方法です。発展途上国のように安い労働力を思う存分使えるなら、このビジネスモデルは成り立ちますが、先進国となった日本では働く人々の賃金が上昇していくため、いつまでも発展途上国型のビジネスモデルに依存するわけにはいきません。

 しかも、この手のビジネスモデルは参入障壁が極めて低いので、いずれ他の発展途上国が真似をし始めます。当然、先にこのビジネスモデルで発展してきた日本は、後から来た発展途上国にマーケットを奪われていきます。白物家電はその象徴的なものです。

 参入障壁が低いという点では造船も同じです。海に囲まれた日本では、古くから造船が盛んで、1980年代頃までは、日本企業が世界シェアの約50%を占めていました。では、今はどうでしょう。2018年時点の日本の造船シェア(受注ベース)は、わずか19%です。それに取って代わったのが韓国と中国で、2018年時点のシェアはそれぞれ45%、26%です。船を作るには巨大な設備が必要ですが、これは一定の資本力があれば克服可能で、本質的な参入障壁とはいえません。

 そして、造船のような労働集約型の産業では、どうしても発展途上国が有利になります。参入障壁が低いビジネスモデルは、それだけ厳しい競争環境にさらされるため、絶対的な地位を築くのが困難なのです。

 発展途上国型のビジネスモデルの企業が発展途上国の企業にとって代わられることはある意味、歴史の必然であり、日本だけではなく、アメリカの産業の歴史にもみられます。1970年代に急速に勃興する日本が、安い人件費とそれなりのクオリティでテレビ、冷蔵庫などの家電を市場に送り出し、80年代に入ると自動車においても、アメリカ国内のメーカーをどんどん駆逐していきました。

 まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」として世界中を席巻したのです。日本人はその時の成功体験に酔いしれているのか、モノづくりは日本のお家芸で「アメリカにはもうまともな製造業はないのだ」くらいに考えている人も多いかもしれませんが、それは全くの勘違いです。アメリカにもスリーエム、エマソンのような素晴らしい企業が残っています。ただし、単純な製造業として残っているわけではなく、サービスも含めた総合力で顧客の課題を解決する「先進国型のビジネスモデル」に脱皮しているのです。

 いつまでも単純な「モノづくり」とその成功体験にこだわっていると歴史の渦の中に飲み込まれます。

 多くの日本企業が、発展途上国型ビジネスモデルから脱することが出来ず、しかも参入障壁の低い産業だったことが、1990年代以降の低成長の根本的な原因であると私は見ています。

 ビジネスモデルを考えるうえで一番肝心なのは、いかに自分たちのビジネスの周りに高い参入障壁を築くかという点に尽きます。そこを疎かにしたことが、日本企業が利益を伸ばし続けられなかった原因だと思います。結果、多くの日本企業の株価は、ナイキの株価のように綺麗な右肩上がりのトレンドを描くことが出来ず、上下のブレの中で、ギャンブル的なトレードが横行するようになったと考えられるのです。

<『ビジネスエリートになるための教養としての投資』より抜粋>

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