楽天が開催したイベント「Rakuten(7月31日~8月3日)」に優待投資家・桐谷広人さんと株タレントとしても活動している杉原杏璃さんが登場。「進化した私の投資スタイル」をテーマに、草食投資の優待投資術や肉食投資術について対談。その内容を前編・後編に分けてお伝えします。

株で失敗し家賃も払えない時、優待品に救われました――桐谷

優待名人桐谷さんと肉食投資の杉原さんがオプティミズムに登場

――お二人の投資歴から教えてください。桐谷さんはどのような経緯で株式投資を始めたのですか。

桐谷 私は25歳のときにプロ棋士になり、29歳になったときに東京証券協和会の将棋部の師範になりました。

 それから5年がたったある日、私が住んでいた杉並区阿佐谷に、ある証券会社の支店長さんから、将棋が好きなので一度お会いしたいと電話をいただきました。その縁で株式投資を始めたのです。

――株式投資に、はまったそうですね。

桐谷 ちょうどバブルの前の1984年でした。その後、どんどん上がり、1989年12月には日経平均株価は最高値の3万8,915円をつけるわけです。

 株式投資を始めたのは、株価が上昇し始めたところだったので、試しに1銘柄を買ってみたら利益が出たので、はまってしまった。本職の将棋よりも利益が出ると欲を出してしまいました。バブルの頂点では、1億円儲けて、バブルがはじけて1億円損をしました。

杉原 「往って来い」になってしまったのですね。

桐谷 調子よくスタートして、大損をして、また取り返すと、また大損の繰り返しで二十数年間が過ぎました。その経験のおかげで優待投資を考えるようになったのです。

――一番大きな損失を被った銘柄はなんでしたか。

桐谷 一つのこの銘柄と言うより、信用取引を使ってたくさんの銘柄を買っていた2008年、リーマン・ショックによって株価が暴落して大損をしました。口座にあった3億円が5,000万円まで減ったので、2億5,000万円の含み損ですかね。

杉原 信用取引は少額の資金でもたくさんの株を買える仕組みですが、その分、ハイリスク、ハイリターンですからね。

桐谷 2007年に引退して、悠々自適の生活ができたのに、もっと資産を増やしたいと思って信用取引を始めました。ですが、米国でサブプライムローン問題が発覚した。

 それでも評論家の人たちは「たいしたことはない」というのです。その言葉を信じて勝負に出たら、リーマン・ショックです。もう体調は悪くなるし……。

――どうやって乗り切ったのですか。

2億5,000万の損失を経験した桐谷さん

桐谷 故郷・広島の父親や妹に援助をしてもらって助かりました。このとき、株式市場は、もうだめだと言う人が多かった。
 でもここで損切りをしたら、2億5,000万円の損失を取り返すことができないので、含み損を抱えたまま回復を待ちました。その体験から、株式投資は辛抱が大事だと考えるようになりました。

――その体験から優待株投資に切り替えたのですね。

桐谷 優待のありがたさを知ったのです。月給がなく、収入は株の配当のみとなりました。配当は家賃で消えてしまって生活費がありません。

 そういう時、優待品のお米や缶詰が届いたのです。それで優待品や優待券で数年間暮らしたのです。それで優待株投資の良さが分かったのです。