銀行株にもまだチャンスはある
本稿は、銀行株に関する投資分析の提供を目的としていないが、一般的な議論を述べておこう。
現在の銀行の株価は、PBR(株価純資産倍率)1倍を大きく割り込む低評価が一般的で、前述のような厳しい環境も投資家には知れ渡っており、魅力的に見える状況ではない。しかし、ビジネスの状況が悪くても、その実態が十分あるいはそれ以上に悲観的に反映された株価が形成されているのであれば、その株価の銀行株は十分投資の検討対象になるはずだ。
人間が必死に経営している以上、企業体として、事業の再編や新しいビジネス機会の発見が行われる可能性は常にあるし、いよいよ銀行業が縮小に転じる過程を経ると次には残存者利益が評価される段階が到来する可能性が見えてくる。
なお、キャッシュの流出であり株主に対する人気取りでもある配当の利回りや自社株買いを評価するよりは、たぶん、資産の活用や新規ビジネスなどを評価する方が投資としては面白いように筆者は感じる。外国人株主の影響が強く、株主への還元を強く求められる株式の上場は銀行にとって重荷になっているのではないかと思われるが、上場廃止の道を選択することも難しそうだ。
ビジネスとしての銀行がさらに苦境に陥る際には、検討の価値がある投資機会が生まれるのではないだろうか。
「リブラ的正義」と戦えるか?
Facebookのデジタル通貨「リブラ」の構想は、中央銀行や監督当局も含めて世界の金融界に広く衝撃を与えた。フェイスブック社のお膝元と言える米国でも、FRB(米連邦準備制度理事会)がリブラに懐疑的で規制論を唱えており、議会の一部には開発自体を止めるべきだという意見さえある。
Facebookは、個人情報の不適切な使用で巨額の課徴金を科されたような行儀が悪いイメージがある会社なので、同社にどのようなビジネスを認めるべきかという問題は個別にあるだろうが、好き嫌いを離れて客観的に見ると、「リブラこそ、金融ビジネスにおける正義だ」と言ってみたくなる面がある。
現在の構想でリブラ自体は、各国の法定通貨建ての資産を背景に持つ「スマホに入るSDR」(「SDR」はIMF(国際通貨基金)のバスケット通貨に連動する「特別引き出し権」)のようなものであり、銀行が発行しようとしている法定通貨に価値が連動する「何々コイン」といった種類のものと大きく違わない。
しかし、世界に十億人を超えるアクティブなユーザーを持ち、ユーザーに関する個別のデータを大量に持っているFacebookをプラットフォームとして、国を超えた送金を安価かつ短時間で行えるのだから、ユーザーにとっては圧倒的に便利だ。この種のサービスにとって規模自体が価値であり、サービスの質でもある。
かつての業務立ち上げ期の苦労を認めないではないが、銀行は、例えば送金や外国為替のような本来簡単・安価であっていい筈のサービスで、顧客に不便な手間を強い、時間を掛け、しかも安くない手数料を貪っていた。ビジネスとしては「リブラ」の方が「まとも」だと言えるのではないか。
しかも、技術的には銀行の業務の殆どをデジタル化し機械化することが可能になったのだから、リブラが銀行を駆逐しなくても、別の似た性質を持つ主体が、既存の銀行業務を置き換えることは容易に想像できる。
銀行の経営者は、「何の規制もなしにリブラが自由にビジネスを展開できるようになった時に、それでも立ちゆくビジネスは何か?」と問わねばならない。
顧客個人が気を付けるべき事
リブラがいきなり広く普及するまでまだしばらく時間があるとしても、(1)銀行が現在経営的に苦境にあること、(2)銀行員がデジタル技術に置き換えられつつあること、(3)利潤の帰属先が人間からデジタル技術に移行しつつあること、などを考えると、「銀行員」が生き残るための努力は苛烈を極めるはずだ。
また、情報の量と処理に関する相対的な地位の低下があるとしても、銀行は顧客に関するデータを豊富に持っていて、これとデータ処理技術を組み合わせて、顧客のデータをマーケティングに使う動きを強化するにちがいない。
銀行員に対しては、言わば「お腹を空かした狼」が今までよりも「強力な嗅覚」を持って顧客という獲物を狙っていると思って、警戒を強めるべきだ。
銀行と銀行員に助かる道を探すはずの拙稿だったが、この段階まで書き進めてみると、顧客側に立った注意を一言述べる必要を感じてしまった。
銀行および銀行員には、真に顧客のためになるすっかり新しいビジネスを生み出して、逞しく生き残って欲しいと希望していることを最後に付け加えたい。