政策を頼りすぎたか

 過去30年くらいのわが国の金融行政を振り返ると、銀行は証券会社や保険会社と比較して、行政からより大切にされてきたように思う。金融システムの安定性の中核を担う業種なので、一定の合理性はあった。

 例えば、1990年代のバブルの崩壊後に破綻した保険会社の契約者は、一部が保有契約の予定利率引き下げなどの実損を被ったが、銀行の預金者、加えて金融債の保有者には一切損をさせなかった。唯一の例外は、特殊な銀行であった日本振興銀行の破綻時に預金保険にもとづき、いわゆる「ペイオフ」が適用されたことだけだった。従って、銀行にはまだ顧客に損をさせないイメージが少し残っている。

 また、1998年に施行された一連の規制緩和(日本版ビッグバン)でも、銀行は、投資信託の窓口販売が認められるなど、将来の「稼ぎの種」を寛大に割り当ててもらった。

 一方、大手銀行は一部の信託銀行の例外を除いてメガバンク・グループに集約されたが、地方銀行の再編にまで行政の手が回らず、ビジネス的な競争力が不足する地方銀行が小さな経営単位で多数放置されているのが現状だ。特に地銀に関しては、バブル崩壊後の処置が優しかったことが、今になってアダになっている。

 不況業種に対する政策的な一般論としては、(1)独占禁止法の適用を緩めて、(2)合併等による業界の再編を進めてリストラ益を得ることに加えて競争を緩和し、(3)配当や利息支払いなどの資金流出を抑えて、(4)新規ビジネス分野での収益獲得などを促す、といった流れが典型的だが(高田創「『地銀構造不況』を脱するビジネスモデルの処方箋」、週刊金融財政事情、8月5~12日号参照)、いずれの段階にも障害がありそうだ。

 それぞれを見ると、(1)長崎県の事例などを見ても公正取引委員会は銀行の経営統合に厳しく、(2)銀行は組織文化的に合併への抵抗感が大きく(支配される側になった銀行の銀行員が人事的な不利を被るから)、(3)上場していると配当や自社株買いを減らすことが難しいが上場廃止も経営上難しく、(4)新規ビジネスに株式で出資することに対しては銀行の融資業務との利益相反の問題がある。

 典型的な不況業種の立て直しプロセスは難しそうで、個別には救済が間に合わなくなる事例が生じるかも知れない。

総合商社との比較

 ビジネスモデルが行き詰まっているのではないか、という点で、比較対象として思い浮かぶのは総合商社だ(注:筆者は商社勤務の経験がある)。

 商社は、過去に二度三度にわたって「商社不要論」、「商社冬の時代」といった議論に晒されたことがある。

 筆者がリアルに知っているのは、1980年代前半とバブル崩壊後の1990年代前半だが、いずれの商社不要論も、「モノを右から左に動かして口銭(=実質的手数料)を得る利益構造には限界がある。なぜなら、売り手が買い手に直接販売すると商社を中抜きする利益が得られるからだ…」といったストーリーを基調とするものだった。

 確かに、自動車でも電機製品でも、メーカーが外国や外国語での取引に慣れると、製品知識はメーカーの方が豊富なのだし、金融機能も銀行や証券会社の方が上だった。特に先進国向けの取引では、商社が不要になるという議論には説得力を感じたものだった。

 その後、総合商社がどうなったかというと、(1)資源関連分野への投資が資源価格の上昇によって「幸運にも」大きな収益をあげて、(2)その収益を外部の事業に投資するような投資会社化がうまく回ったことによって、「物流・貿易機能付きの投資ファンド」のような業態にビジネスの相当部分を転換できたことで、大手総合商社は、かつてと比較して遙かに大きな収益を上げることができる会社になった。

 もちろん、資源価格の変化等に伴う投資の潜在的リスクは小さくないし、今後の投資が上手く行き続ける保証はないのだが、ビジネスとしては一息ついたという以上の状態にあると言っていいだろう。

 さて、日本の銀行に、かつて商社に訪れて彼らが生かしたようなチャンスはあるだろうか。

 まず、たまたま持っていたリスクが収益化するという意味では、銀行は有価証券運用で持っていた債券の含み益を使い果たしつつある状況で、むしろ、不測の運用損失の方が心配な状態に見える。各所の一等地に持つ不動産は今後活用できる資産かも知れないが、支店やATMは今後不要になるなどむしろ廃棄コストが掛かる不良資産になる可能性がある。

 それでも、新しいビジネスを見つけて、何らかの形で投資し参加することができれば、銀行その物は縮小するとしても、経営体としての銀行は形を変えて残るし、人も一部は将来の活躍の場を得るだろう。

 例えば、地方銀行の中に、地域に特化した投資ファンドに実質的に衣替えして成功する事例が将来ないとは言えないが、多数が上手く行くようには思えない。例えば現在、野村総合研究所(4307)は元々の親会社筋の野村證券(8604)よりも時価総額が大きいが、こうした例を日本の銀行が多数作る事は難しかろう。

 1つの理由は、人事権が銀行本体の人事部に集中する人事の中央集権度合いがあまりに強いこと、人材育成が画一的であることなど、銀行の人事のあり方に問題がある。加えて、それ以上に、デジタル技術の進化やこれに伴う新しい競合相手の登場のような外的条件の変化スピードがあまりに速いことが銀行にとって不運であるように思える。

「商社冬の時代」の商社の敵は、1つには商社を中抜きしようとするけれどもそれなりに動きの遅い「取引先」だった。異業種から強力な競合相手が急に現れた訳ではなかったし、想像を超えた技術進歩があった訳でも、今まで視界に入っていなかった競争相手(例えばGAFAのような)が登場した訳でもなかった。現在の銀行が置かれた環境は、かつての総合商社の場合よりも厳しい。

 総合商社に訪れたような幸運は、銀行には望みにくいのではないか。