本稿では、主にわが国の銀行業の将来について考えてみたい。

 筆者の記事の読者は、筆者が対面型営業の金融機関の中でも特に銀行を警戒していることをご存知だろう。資産運用のコメンテーターとしての筆者は、「銀行嫌い」と言えるかも知れない。しかし、本稿では、好悪の感情を交えずに、なるべく淡々と「ビジネスとしての銀行」について考えてみたい。

短期・長期両方の苦境

 わが国の銀行は、現在、短期・長期両方の要因で経営的に難しい局面に至っている。

 短期的には、日銀の金融政策によって長短両方の金利が下がり、利鞘の確保が難しい。預金を集めて、資金を貸し出しに回して利鞘で稼ぐという元々のビジネスモデルが利益を生まなくなった。

 長期的には、デジタルテクノロジーの進歩による新しい競合者の登場や、銀行員が関わっている業務の機械化・自動化だ。例えば、いわゆるフィンテックの進化に伴って、キャッシュレス決済や送金が容易になることで、銀行は既存のビジネスと、それに付随する既得権的利益を失う可能性が大きい。また、RPA(ロボットによる業務自動化)のような技術進歩は、金融ビジネス内のコスト競争を加速するとともに、銀行に大量の余剰人員を発生させることになり、人員整理のためのコストをもたらしかねない。

 短期・長期、どちらの要因も銀行にとっては大きな問題なのだが、可哀そうなのは、金融緩和政策の終了条件が満たされる状況が見通しにくく「短期の問題が意外に長期化」しそうなことに加えて、デジタル技術とビジネスの進歩は急速で「長期の問題だと思っていたはずの問題が意外に短期に」現実化しそうなことだ。

情報処理産業としての競争力喪失

 ただし、金融緩和政策による低金利環境がわが国銀行業の収益を低下させることは、銀行業界寄りの論者がしばしば「金融緩和政策の副作用」として強調しがちな問題だが、よく考えてみると、例えば銀行が提供する資金やサービスに真に価値があれば、「短期金利プラス・スプレッド」のような金利の値付けが可能なはずだ。長期金利の低下で利鞘が確保できないというのは、そもそも銀行に付加価値を提供する力がなくなっているからだ。

 結局、情報を収集・解釈して「自行ならば他行よりも有利な条件で貸して収益を得られる融資先」を発見・発掘する能力が乏しいか、融資先に対して銀行が持つビジネスのアレンジやコンサルティングの価値が乏しいかのいずれかに、根本的な原因があると考えざるを得ない。十分な「情報力」があるなら、形が貸出利鞘でなく何らかの手数料であっても収益は得られるはずだ。

 もともと銀行業は、情報の収集と解釈における優位性を、資金を提供する金利の形で実現したり、各種の手数料の形で実現したりする「情報処理」を競争力の源とするサービス業であるはずだった。そして、顧客の預金口座の資金の動きをモニタリングできることによって得られる情報上の有利性が利益の源泉であった。

 しかし、今後、例えばキャッシュレス決済が広く普及すると、個人や法人の決済に伴う情報を持つのは決済業者で、銀行は単に決済業者の帳尻を預金口座で清算するだけの、情報を伴わない、ネットのビジネスで言う「ドカン(土管)」のような存在になる公算が大きい。

 銀行は情報上の有利性を死守する必要があったのだが、おそらく、窓口での煩雑な事務を避けて公共料金や税金の支払い(個人に関する有用な信用情報だ)をコンビニエンスストアに渡したあたりから油断があったのではないか。

 今後、リアルな店舗での購買行動も含めて個人の行動を詳細に把握できるキャッシュレス決済業者や、顧客のネット内での振る舞いを情報収集できるGAFA的な企業に対して、銀行が持つ情報の量も解釈力も相対的に低下していくことになるだろう。