1974(昭和49)年11月26日

田中角栄首相が辞意表明

  1974(昭和49)年11月26日、田中角栄首相が辞意表明しました。公共工事予定地を事前に買って高値で売り抜ける「金脈問題」で党内外から批判が強まったためです。

 田中首相の不祥事を暴いたのはフリージャーナリストの立花隆氏。月刊誌「文芸春秋」の1974年12月号に掲載した「田中角栄の研究」で、1970年ごろに行われた信濃川沿いの土地を使った錬金術が詳細に報じられました。

 田中首相は当初、この報道を黙殺していましたが、海外メディアが大々的に取り上げたことをきっかけに世間の注目を浴び、日本の大手メディアもこの問題を掘り下げました。

 田中氏は内閣総辞職を決断。12月9日、自民党内で反田中首相の急先鋒だった三木武夫氏が首相の座に就きました。1976年2月には航空機売り込みの際に贈収賄があったとされるロッキード事件が発覚。田中氏は同年7月に逮捕されましたが、翌8月に保釈され、年末の総選挙では、トップ当選を果たしました。

 

1974年11月26日の日経平均株価終値は

3,860円58銭

※1974年11月26日は休日のため、前営業日の終値。