投資家が真夏に読んでためになる本

本格的な夏が訪れて全国的に猛暑の日々だが、読者の皆さんはいかがお過ごしだろうか。今週は、投資に臨むにあたっての基礎力となり、同時に今の投資家として避けて通ることの出来ないテーマを扱った、投資家向けの夏の読書の推薦図書を1冊ご紹介する。田渕直也著「投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について」(ダイヤモンド社刊)を是非お読みになるといい。

筆者は残念ながら著者に直接お目に掛かったことはないが、田渕直也氏は1963年の生まれで、日本長期信用銀行、UFJパートナーズ投信などで、デリバティブや資金運用の実務に携わった方で、現在、金融アナリスト、コンサルタントとしてご活躍中だ。デリバティブと行動ファイナンスに詳しく、投資に関する理論的な紹介は正確で丁寧なので、投資の理論的な知識を充実させたい方や、知識を再確認しておきたい方は、本書を読むと役に立つはずだ。キーワードの詳しい脚注が各ページにあるレイアウトになっており、知識の確認用に好適だ。

筆者は、かつて運用者向けの専門書を書いた時に、各ページに脚注を付けたいと希望したものの、「面倒なので、注は章末にまとめてくれ」と編集者に言われて押し切られて残念な思いをしたことがあって、丁寧な作りの本書を少し羨ましく思った。

さて、本書は、書名にもある通り、12のテーマを「誤解」だとして、取り上げている。12の命題は以下の通りだ。

  • プロや学者は金融の全てを分かっている
  • ファンダメンタルズがわかれば相場で勝てる
  • 「チャートは全てを語る」あるいは「チャートはオカルトである」
  • 為替相場は国力を反映する
  • 日本国債は日本国民が買っているので破綻しない
  • 巨大投資家が市場を牛耳っている
  • 金融政策でデフレは解決出来る
  • 市場はうまく規制出来る
  • 銀行が勧める金融商品は安全
  • ⑩ 投資では相場の読みが大切
  • ⑪ 短期予測より長期予測の方が難しい
  • ⑫ 勝率を上げれば投資成績は良くなる

中には、9番の「銀行が勧める金融商品は安全」のように、タイトルを見ただけで「そんなははずあるまい!」と言いたくなるようなものもあるが、12個の命題を読んで読者はどう思われるだろうか。ちなみに、銀行の運用商品が全くダメであることには、本書の著者だけでなく、筆者でも断言出来るが、この項目では、銀行が販売に力を入れる商品がどのようなプロセスで選ばれるか(だから、やっぱりダメなのか)が説明されている。自明に見える命題の項目であっても、読んでみる価値がある。

各パートは独立して読む事が出来、タイトルの付け方(書名も、章タイトルも)から受ける印象よりも、書きぶりと議論の進め方は丁寧だ。著者の意見は表明されているが、押しつけがましくないので、「読んでみたら、腹が立った」という読後感は心配しなくていい。

とはいえ、本書には、「だからあなたは損をする」という挑発的なサブタイトルが付いている。本書は、それぞれのテーマに関する議論の手掛かり、あるいは「問題集」として読む事もできる。さて、誤解として提示された12個の命題に、読者は何個賛成されるだろうか。

巨大資金でも市場を牛耳ることはできない

12個の命題の全てについて、筆者が要約と感想を付け加えるなら、それは映画評論などで言う「ネタバラシ」に近い野暮であろう。以下、この本が扱う幾つかのテーマについて、筆者の意見を幾つか記してみる。

筆者の思うに、この本で最も優れた議論が展開されている章は「巨大投資家が市場を牛耳っている」という誤解を斬った第6章だ。

著者は、行動ファイナンスの知見に対して肯定的だが、それは同時に、行動ファイナンスを現実の投資に応用することの難しさに対応している。

著者は「こうした自分自身の心理的なバイアスを乗り越えて、他者の心理的なバイアスから生まれる市場の不合理性を客観的に見つめることのできる者だけが、初めて市場で有利に立つことができる。それは、人の本能に逆らうというハードルの高いものであるため、勝者の側に立つものは決して多数を占めることはない」と書いている。

この説明は、行動ファイナンスを知ったからといって簡単に儲かるようになるわけではないという事情を大変上手く説明している。但し、行動ファイナンス的な要因で生じるチャンスというものが時に存在し、これを利用することは可能なはずだということについて、著者はポジティブだ。大まかに言い換えると、著者は、可能性としてのアクティブ運用の有効性を肯定している。

最近の拙著を読んで下さった読者はそう思わないかも知れないが、筆者もこの点については同じ意見だ。但し、アクティブ運用が有効である可能性が存在することと、運用対象としてインデックス・ファンドがアクティブ・ファンドよりも優れていることとは両立しており、それが現実でもある。

続いて、上記の説明の次の段落で述べられている「投資の世界では常に勝者の側に立つことはそもそも難しいことだが、巨大なプロ投資家だから有利で、一般の投資家が不利になるとは限らない」という著者の認識も冷静で正しい。

巷間、ジョージ・ソロスが勝利したとされる「ポンド危機」(英ポンドのERM離脱)も、これを誰かによる市場操作の成功例と理解するよりは、むしろ誰か(イングランド銀行だが)による市場操作の失敗例として捉えるべきだという著者の考えは、その通りだろう。

「大切なのは、陰謀論に振り回されて市場を恐れることではなく、市場の公平性が確保されるように国、社会、業界が不断の努力を続けることである」、「現在の市場は、十分に公平であると言い切れるものではないにしても、大方の人が思うよりもおおむねフェアなものになっているのである」という第6章の結語も適切だ。

「期待」と「信用」

田渕直也著「投資と金融にまつわる12の致命的な誤解について」(ダイヤモンド社刊)を読む上で、重要な概念となっている「期待」と「信用」について、簡単にご紹介しておこう。

たとえば、理論的にあるべき株価(P)は、一株利益(E)、と割引率(r)と利益成長率(g)で、P=E/(r−g)で表すことができる。そのまま同じではないが、rとgはピケティ氏のブームですっかりおなじみになったことは、多くの読者がご存じの通りだ。

更に、割引率(r)は、金利(i)+リスクプレミアム(p)に分解することができる(注;前掲書では金利を「r」としており、本稿と記号の割当て方が異なる)。すると、P=E/(i−g+p)、と資産価格を表すことができる。

田渕氏は、今回の著書の中で、「期待」はgであり、リスクプレミアムのgとは「信用」を裏返しにしたものだと端的に説明されている。そして、いうまでもなく、g(期待)もp(信用)も不安定だ。だから、市場で有利な立場に立ち続けることは難しい。

とはいえ、同氏は、為替レートにおける購買力平価の長期的有効性のようなファンダメンタルズに基づく長期のアンカーの有効性には肯定的だ。バイアスに影響された群衆が形成した異常な価格を冷静な分析と行動で利用した成功例としてウォーレン・バフェット氏を評価しているので、読者が「ランダム・ウォーク嫌いのバフェット好き」であっても、この本は安心して読めるはずだ。但し、両者の関係をスッキリ理解するために、少し頭を使わなければならないことは申し上げておく。

チャート分析は有効か

先ほどの12項目を眺めると、「これについては、どうなのだろう?」と思われる項目が、読者によっては幾つかあるのではないかと推察する。

1つ取り上げてみよう。第3章のチャート分析の有効性に関する議論だが、田渕氏は、チャート分析が将来を予測する上で有効ではないことを丁寧に説明した後に、チャートにも有効性があることを説明しようとしている。チャートに関する両極端の議論を共に斬る方針だ。

同氏が挙げたチャートの効用は3つあって、第1は市場の現状(と過去)の理解、第2は投資のアイデアを引き出すきっかけとしての有効性、第3が自分の投資行動チェックのためのツールとしての有効性の3つだ。

筆者は、第1の有効性に関しては概ね賛成する。数値分析の代表的ソフトウェアであるエクセルに多くのグラフ機能があることからも分かる通り、グラフは情報を縮約するのに便利だ(あくまでも「縮約」であって、「全ての情報が入っている」のではないが)。

ただし、過去の値動きを振り返る際に、過去の情報(例えば業績予想の修正)とこれに対する価格の変化といった、「情報の変化と価格の変化をセットで確認する」アプローチを取ることがより有効だと思う。

また、本書には「人はテクニカル分析を通して自分が見たいものを見ているのである」という優れた表現があるが、過去を見ているつもりが、将来までが見えているような錯覚に囚われやすいのが、チャート分析の危険な点だ。

投資アイデアやセルフ・チェックにチャートが「有効な場合もあるのではないか」とは思うが、しかし、むしろチャートを見て値動きに過剰な感情や意味を重ねることで、人は(少なくとも凡人は)、著者が本書で繰り返し指摘する各種のバイアス影響を受けやすくなってしまうのではないだろうか。

著者は、「少なくとも相場のトレンドを追って比較的短期のトレードを行う銀行のトレーダーやヘッジファンドマネージャーで、チャート分析をまったくしない人というのはかなり想像が難しい」と書く一方で、「たとえばバフェットは、企業の決算資料を見るのが趣味で、チャート分析に没頭している姿は想像がつかない。恐らくは、チャートを見ない派だろう」とも書いている。

人間が行動ファイナンス的なバイアスを排除することが難しい生き物だとすると、チャート分析から距離を置く方が、「他者の心理的なバイアスから生まれる市場の不合理性を客観的に見つめ」やすいのではないだろうか。

著者は、おそらく先鋭的な意見が嫌いな方なのだろう。だから、チャート分析に関してバランスを取った立場を採用したのだろう。一方、この本の編集者は、おそらくチャート好きが多い潜在読者に訴えるために本書の帯で「チャートはオカルト」を「間違い!」と否定してみたのだろう。

筆者にとっては、第3章を含む本書全体の内容は、「こういう事情なので、やはりチャート分析に努力を傾けるのは愚かなのだ」という意見をサポートする有力な追加的補強材料になったように思える。

「実は、世間には伏せられていたが、バフェットは熱心なチャーチストだった」という事実でも将来明るみに出たなら、また考えてみてもいいが(考えて結論が変わるとは思えないが)、3章の議論は、本書全体と整合的でないように思えた。

日本国債と金融緩和政策

田渕氏は、日本国債にも将来直接的なデフォルトやハイパーインフレによる実質価値の上でのデフォルトがあり得る可能性を述べている(第5章)。また、黒田総裁就任後の日銀の「異次元緩和」に対して、政策が期待に対する影響を持ったことを認めるものの、期待をコントロールしようとすることの危うさを指摘しておられる(第7章)。

日本国債と金融政策は相互に深く関連するトピックだが、何に力点を置くかによって、議論の印象が大きく変わるトピックでもある。

日本国債に関して、筆者も未来永劫大丈夫だとは思っていない。政府・日銀の経済政策が上手く行くなら、遠からず、長期金利が2、3%以上上昇し、価格的には「国債暴落」が起こる可能性はあるし(政府の中長期予想もそう想定している)、ハイパーインフレだって「絶対に無い」とは言えない。

田渕氏が言うように「長期金利の適性レベルは、期待される経済の名目成長率に等しい」と概ね考える事が出来る。また、「期待に働きかける金融政策がうまくいけば、いつかは長期金利が上昇せざるを得ないのもその通りだ。2015年3月末時点の普通国債残高の平均残存年数は8.0年であり、ここから単純計算すると3%の金利上昇はおよそ23%〜24%程度の国債価格下落を意味し、これは国債保有者全体の推計損失額として約180兆円に相当する」という。

仮にこうしたことが起こった場合、日本の政府の利払いは「増え始める」がこの程度なら「資金繰り」は十分可能だ。一方、国債の保有者である金融機関は「全てが無事」というわけには行きにくいだろう。

もちろん、日本国債が永遠に大丈夫だなどと主張しようとは思わないが、「程度の比較の問題として」、民間銀行の預金よりは、国債(特に個人向け国債の変動金利10年満期型をお勧めする)の方がより安全だと言っていいように思う。

尚、詳しい議論は別の機会にしたいと思うが、筆者は、財政赤字に関してはハイパーインフレというほどではないインフレで実質価値を落として調整するのが現実的であり、同時にそれが経済的弱者にとって痛みが小さい方法だと考えている。

また、日銀の金融緩和は「やらないよりも、やった方が遙かに良かった」と思うが、株式(ETF)や不動産(J−REIT)を日銀の購入対象にしたことがベストだったとは思っていない。経済的弱者に対する減税ないし現金給付を中心とする財政赤字を日銀が直接ファイナンスするのが資源配分の点でもメッセージ効果の点でも良かったと思うが、今のところ、この意見は少数派ではないかと思う。

読者におかれても、さまざまな賛否の議論があろうが、この夏に前掲書を読んで大いに考えてみるといいと再度お勧めしておく。