運用力評価に関する2つの前提

主に投資信託をイメージして考えることにするが、運用商品を評価・選択するにはどうしたらいいのか。特に、運用の巧拙の評価と商品の手数料の問題について整理しておきたい。

商品評価の前提として、「運用の腕」というものが評価出来る形で存在すると考えるか否かで、アプローチは異なることになる。これは、アクティブ運用は有効であるか否かという古くからあるテーマに関わる分岐点だ。

禁欲的に結論を導くなら、特に、他人に対するアドバイスのレベルで、「アクティブ運用を評価出来る」という前提に立つことは「好ましくない」と言えるだろう。

そもそも、相対的に有効なアクティブ運用を相当の確度で判断出来るなら、その主体は自分の判断力を自分の裁定的な取引に使うことが合理的であり、「良いアクティブ・ファンド」を他人にアドバイスしている時点で、前提条件の成立に疑いが生じる。

しかし、本稿では、もう少し条件を緩和して、ある程度の運用力評価が出来ると考えた時に、運用商品の手数料と運用力評価との関係をどう考えるのがいいかについても考えてみたい。 仮に「手数料は高いけれども、上手い運用だ」と思える商品があったときに、「手数料」と「運用の上手さ」をどのようなウェイトで評価したらいいのか、といった問題意識だ。パフォーマンス評価の基準などを考える際の参考になるかも知れない。

商品評価の基本形

原則論的な考え方から述べよう。

投資家側から見た、同一カテゴリー内の運用商品の優劣評価は「マーケットの条件からの乖離」で行うべきであり、殆どの要因は「手数料」だ、というのが、運用商品評価の基本になる考え方だ。

運用会社、運用者、販売金融機関、アドバイザー(FP等)にとっては不都合な考え方だが、投資家の側でコントロール出来るものは何かを考えると、上記の結論は動かしがたい。

喩えとしては、手数料が片道1円の外貨預金Aと片道50銭の外貨預金B(共に米ドルの預金で、簡単のために利率はゼロ、スタート時の1ドルは100円としておこう)の比較が分かりやすい。

預金の満期が来て10%円安になった場合、外貨預金Aは往復2円の手数料が掛かって利回り8%(以下税抜き)だが、外貨預金Bは9%になる。一方、10%の円高になった場合を考えると、外貨預金Aは−12%、外貨預金Bの場合は−11%ということになる。つまり、円安になっても、円高になっても、手数料が高い外貨預金Aはダメなのだ。

「運用商品のリターン=市場リターン−手数料」なので、市場のリターンが共通な場合、手数料の安い商品への投資の方が常に優れていることになる。

従って、このケースの外貨預金Aのような商品は、市場のリターンの見通しに関係なく、常にダメなので、はじめから検討に値しないのだ。「運用力は評価(予測)出来ない」という禁欲的な前提とこの原理とを組み合わせると、投資信託商品の90%以上に対して「検討に値しない」と言い切ることが出来る。

運用商品の評価に当たっては、「市場のリターン(の見通し)」と「商品の枠組みの優劣(主として手数料)」とを分けることが重要であり、後者が相対的に劣る商品が選択される余地はない。

あれもダメ、これもダメ、と言い募るのは、筆者でも些か心苦しいので、具体的な商品カテゴリーは挙げないが、大半の読者がお持ちの商品がこの意味で「ダメ!」と判断されるだろう。

この場合、処置の方法は「自分の買値や将来の相場見通しに関係なく解約」が概ね正しい。仮に、将来の相場見通しが有望だとするなら、乗り換えの手数料を考慮した上でさらにローコストな商品があれば、これに乗り換えるのが合理的だ。頑健な論理と計算に基づく結論なので、反論の余地はない。

運用力評価が加味されると?

運用商品の期待リターンに、アクティブ運用のスキルへの評価が加味されると事情はどうなるか。

今度は「運用商品の期待リターン=市場リターン+アクティブ・リターン−手数料」ということになる。市場リターン部分のリターンとリスクについては共通な商品を比べるとして、投資家の側ではアセット・アロロケーション段階で考慮済みであるとして、商品の相対比較を行うにはどうしたらいいか。

一般的な方法は、何らかの方法で「アクティブ・リスク」を調整して「期待アクティブ・リターン」を評価することになる。

ここで、少々都合のいい仮定を積み重ねてみる。

先ず、アクティブ運用の腕(スキル)の有効性は継時的に安定しており、投資家から見て評価可能だとしてみよう。つまり、過去のパフォーマンス評価が、将来のパフォーマンス予測に対して有効性を持つ条件を仮定する。

これはかなり都合のいい仮定で多分現実に当てはまっていないが、パフォーマンス評価という作業に商品選択上意味があるとすると、大なり小なり、こうした状況を仮定しないと話が進まない。

但し、ここまで仮定して、例えば、ある商品の、過去の平均的なアクティブ・リターンを将来のアクティブ・リターンの期待値とすることが妥当だとした場合でも、リスクを伴っている期待アクティブ・リターンと、リスク無しに実現するマイナスのリターンである手数料とを同列に比べることは出来ない。

投資家にとって妥当な手数料

期待アクティブ・リターンと手数料を比べるために、投資家にとって妥当な手数料はどう決まるのかを見ておこう。

投資家は、運用者のスキルをインフォメーション・レシオ(アクティブ・リターンをアクティブ・リスクで割った比)Iの形で知っているとしよう。この条件の下で、運用者が投資家の効用関数U=r−λσ2を最大化するようなリスクを取って運用すると考えた時の、投資家にとっての効用Uはどうなるか。ここで、リターンrとリスクσは共にアクティブ・レベルのもので、λはアクティブ・リスクに対する投資家のリスク拒否度であるとする。

インフォメーション・レシオを効用関数に代入すると、
U=Iσ−λσ2  となる。

Uが最大値を取るリスクの大きさσを求めるために、
σに関する一次微分をゼロと置くと、
U’=I−2λσ=0 であり、 σ=I/2λ を得る。

この時の効用は、
U=I・I/2λ−λ・(I/2λ)2=I2/4 である。

ところで、この時の期待アクティブ・リターンを計算すると、
Iσ=I・I/2=I2/2  となる。

最適なアクティブ・リスクの下での効用は、投資家が支払ってもいい運用手数料の上限となる。そして、その状況下で、手数料は期待アクティブ・リターンのちょうど2分の1になっている。 手数料支払いを正当化するためには、期待値ベースでのアクティブ・リターンが手数料の2倍必要なのだ。

期待アクティブ・リターンの半分以上に手数料が大きくなると、投資家にとっては、期待されるアクティブ・リターンの増加によるプラスよりも、アクティブ・リスクのマイナスの効果が大きくなるか、あるいは単純に手数料の方が期待アクティブ・リターンよりも大きくなってしまう。

効用関数の値は年率%単位のリターンに換算することが出来るが、投資家にとっての手数料コストは、継続的に掛かる運用管理手数料(信託報酬)以外にも、販売手数料や売買手数料を(期待される)投資期間に応じて案分した手数料を加味して評価する必要がある。

現実の運用商品には、そもそも手数料の2倍のアクティブ・リターンなどありそうにないものが多い。また、前提条件を再確認しておくと、そもそも運用スキルを評価・予測出来るという仮定自体が、現実的に成立していない可能性が大きいことに注意が必要だ。

商品選択のためのパフォーマンス評価への含意

さて、それでもアクティブ運用の評価が出来ると考えて、且つ過去のパフォーマンスが将来のパフォーマンスを予測する参考になるのだと考えてみよう。

この前提の下で、手数料の異なるアクティブ運用商品をどのように評価したらいいのだろうか。

仮に同一カテゴリー内(同じベンチマーク)で運用者が異なる、運用商品Xと運用商品Yがあって、運用商品Xにのみ手数料fx(年率)が掛かるとしよう。

運用商品Xのパフォーマンス評価期間における観測値として手数料差し引き前の生のアクティブ・リターンがあったとき、投資家にとっての期待値ベースでのアクティブ・リターンの価値はここから2×fx分だけ低下することになる。

つまり、運用商品Xの手数料の影響を調節した期待アクティブ・リターンを評価するには、通常よく行われる手数料を(1回)差し引きしたベースでのアクティブ・リターン評価から、さらにもう1回手数料を差し引きしたものを考えるといいのではないか、というのが、筆者の判断だ。

パフォーマンス評価が、将来の商品選択のために行われる以上、「確実なマイナス・リターン」としての手数料を、どんなに譲歩してもこの程度には反映させるべきだと考える。

従って、インフォメーション・レシオで評価する場合、商品Xのアクティブリターン(手数料差し引き後)をrxとして手数料をfxとする場合、(rx−fx)を分子として、商品Xのアクティブ・リスクσxで割り算した「手数料価値修正済みインフォメーション・レシオ」で評価すべきだというのが、当面の結論である。

もちろん、商品Yも同様に評価するのが公平だろう。こうした方法によって、手数料率の異なる運用商品をフェア且つより妥当に評価出来る。

実務的には商品のカテゴリー分けとベンチマークの設定が問題だが、意味的には単にインフォメーション・レシオ(或いはシャープ・レシオ)で評価するよりも、商品選択の目的には妥当なパフォーマンス評価ではないだろうか。

もちろん、これで「過去の運用パフォーマンスは、将来の運用パフォーマンスを予見しない」というパフォーマンス評価そのものの有効性への根源的な批判を回避出来ると主張したい訳ではない。ただ、考え方として、少しだけマシではないかと思い提案してみる次第だ。