以前GPIFの話題を取り上げたが、相変わらず間抜けな議論が続いている

以前、2015年9月末のGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用成績について、含み損と実現損の違いについて混同せず、きちんと分けて整理してみよう、というコラムを書きました。

2016年は年初に入ってからずいぶん株価が下がりましたが、「○○兆円の損」のような議論は今年も続いているようです。野党の国会議員も、せめて拙コラムを読んでから質疑していただければと思います(議論するべきことはその先でGPIFのポートフォリオをどうすべきか、に置くべきです。この点において現政権批判は大いにしていただきたい)。

さて、含み損と実現損について読者から反応があり、それでも損は損ではないかとの指摘がありました。その方はきちんと投資を理解されているようでした。

実は指摘のとおりで、「含み損も実現損も、損は損」というステージでも投資とつきあえるようになることが必要です。

一見すると上記のコラムと矛盾するように思えるかもしれませんが、「含み損と実現損は違う」の次のステージを考えてみたいと思います。

「なんとなく投資」からステップアップするヒントになるかもしれません。

個人投資家の含み損とつきあうステージは3段階あるだろう

さて、前回はそもそも含み損と実現損を混同している幼稚な議論を取り上げて、「ステージ1.含み損と実現損を分けて考えることができる」ところに個人投資家はステップアップしましょう、というお話をしました。

実現損としての損失額と、まだ投資過程にある含み損は意味合いが違います。含み損はその後の株価回復において自然と解消されていきますが、実現損を取り戻すには再度の投資が必要です(しかも譲渡益には課税され売買手数料も生じるので、実現損の金額以上を儲けなければいけない)

投資経験が浅い人はこの段階で「含み損とどうつきあうか」を慣れていく必要があります。狼狽売りをせず市場の回復を待つことも投資の選択肢であることを学ぶわけです。

そして、次のステージとして「ステージ2.含み損と実現損のどちらも「さりとて損は損」と理解できるようになる」を考えてみます。

今度は発想が逆で「含み損は損ではない」というアプローチではなく、「損失が出ていることは間違いない」と受け入れるステップになります。

確かに含み損は売却をしていない状態です。しかし、投資商品の時価が下落し、今売ったとすれば損失が生じる状態にあるということを事実として受け入れる必要はあります。そこから目を背けることはすべきではありません。

これはもちろん、拙速に売り払えというわけではなく、現実として向かい合え、という意味合いです。そして「含み損と実現損を分けて考える」と矛盾しているわけでもないわけです。

しっかり含み損と向かい合えるようになったら、最後に「ステージ3.「損は損」としつつ改めて投資戦略をそれぞれ考えてみる」ことになります。

「含み損は絶対に売らない」、という判断はむしろ危険です。ただやみくもに放置するのではなく、「これ以上の回復は期待できないから手放そう」とか「回復には時間を要することが見込まれるので、他の譲渡益と損益通算をすることも考慮しつつ手放すタイミングを考えよう」などといった投資戦略も考えていくことが大切です。

その中に「中長期的には回復が考えられるから今はあえて売らない」「もう少し様子を見てから決断したい」「含み損が減少してくることがあれば、売却も検討しよう」といった選択肢も加え、自分なりに投資判断をしっかり考えることができれば、これは個人投資家として立派に成長したことになります。

自分と自分の投資状況を客観視できる人は投資の強みがある

含み損と実現損の問題を3つの段階に分けて考えてみましたが、投資における「客観視」あるいは「俯瞰視点」の獲得なのだと考えてみれば、すんなり腑に落ちることではないかと思います。

あなたがもし、3段階にブレイクダウンすることで含み損と実現損問題と向かい合えるようになるなら、ステップを踏みながら考えてみてほしいと思います。

日常生活や仕事においても、自分を客観視したり俯瞰的視点で把握できる人は強みがあると思います。それは自分の投資状況についても同様です。

私たちはどうしても自分の視界に映るものを自分の目線だけで捉えがちです。そこに「自分の能力を過信する感情」、「マーケットを自分の期待通り推移するだろうと考える甘い発想」などが加わることで適切な投資行動が行えなくなっているのです。

これはできるだけ早めに卒業したい「なんとなく投資」の発想です。ぜひ、含み損問題をヒントに、ぜひ乗り越えてみてください。