ファンダメンタル分析にも失望

 当時、筆者が勤めていた会社には、テクニカル分析の定番の書籍を複数執筆していた大御所チャーチストがいらっしゃったが、運用は上手くなかった。

 また、証券アナリストの資格を持っていて企業を調査するバイサイド・アナリスト(運用会社に所属するアナリスト)が企業訪問などを行ってレポートを書いていたし、親会社である証券会社のアナリスト、エコノミスト、ストラテジストなどが大量のレポートを送ってきたし、頻繁に訪ねてプレゼンテーションしてくれた。利用できる情報の「量」は業界随一の会社だった。

 当時のアナリストのファンダメンタル分析は率直に言って期待外れでがっかりした。例えば、商社出身だったので、商社の分析レポートを読んでみたが、内容が薄っぺらいと感じた。「日本経済新聞と日経産業新聞を読んでいたら十分書ける程度の作文に過ぎない」と思った。表面的な数字を積み上げて作った収益予想に、アナリストが「これくらい(だろう)」と思うPER(株価収益率)を掛けて求めた「目標株価」が載っている書式のレポートが運用の役に立つとは思えなかった。他の証券会社のレポートにも同様の印象を持った。

 アナリストと一緒に企業を訪問してインタビューに立ち会ったことが何度かあるが、何れもアナリストの質問は表面的で、陪席していて恥ずかしかった。アナリストやファンドマネージャーが企業を外から分析したつもりになっても、「なぜ儲かるのかの機微」とでもいうべきビジネスの核心には触れられないものなのだと思った。

 アナリストやファンドマネージャーが、ビジネスの機微や経営者の評価ができると思うのは、「傲慢な職業的勘違い」だと今でも思っている。短期間ではあっても、商社に勤めたことが理解に影響した。

 ついでに言うと、当時の大手証券会社系のエコノミストについては、「(経済学の)学力が低いな」と生意気な青年だった筆者は当時思っていた。

 投資の世界の「プロ」を尊敬し・憧れる対象と見るのではなくて、疑うべき対象だと見た訳だが、結果的には「正解への近道」だったと思う。アナリストの仕事にでも配属されて、自分が書いたレポートを褒められたりしたら、その道にのめり込んでいたかも知れないので、幸運だった。

 ただ、アメリカの証券系のエコノミストのレポートには参考になると思ったものがあり、レポートの印象的な分析手法をコピーして切り抜いてノートに貼って研究した。これは、後年、経済評論家の仕事をする際に役立った。