今回は、現代にあってお金の意思決定をする上で頭に入れておくと「得をする」あるいは「損をしない」原理原則を3つご紹介する。読者にあっては、直ぐに納得できるものも、そうでないものもあるだろうが、何れも考えておく価値があるテーマであることは確実だ。

 3つの原理には、(1)運用方法の独立性、(2)平均投資有利の原則、(3)成功報酬のオプション性、と名付けてみた。

 順にご説明しよう。

(1)運用方法の独立性

 お金をどのように運用したらいいかは、「若いか・高齢者か」、「庶民か・富裕層か」、投資の「初心者か・ベテランか」といったお金の持ち主の属性に無関係に一通りに決まる。

 加えて、そのお金が「子供の教育資金なのか」、「老後の生活資金なのか」、「純粋な余裕資金なのか」、「結婚や自動車購入などの使途が決まったお金なのか」といったお金の使用目的にも関係なく一通りに決まる。

 さらに、運用期間の長短にも関係なく一通りに決まる。

 この原理が成立する理由はシンプルだ。誰でも、効率的な運用方法があるのに、非効率的な運用方法で我慢するのは嫌だからだ。たとえば、同じ銀行にまったく条件が同じで利率だけが異なる普通預金が2つあれば、誰でも利率のいい方の普通預金を利用したいだろう。リスクを取ってお金を増やそうとする運用の場合、一見複雑に見えるが、事情は同じだ。人によってちがいがあるかも知れないのは、運用資金全体の大きさと、運用資金の中からいくらリスクを取った運用に回すかだけだ。

 お金の使い道は後から自由に決められるので、効率よく増やしておいて、何に使うかは後で決めたらいい。

「人によって、適切なリスクの大きさは異なるから、運用方法も異なっていいのではないか?」と思う方がいるかもしれないが、リスクの大きさはリスク資産への投資金額で調整できるので、「もっとも効率のいい方法」で適切な金額を運用すればいいだけのことだ。運用の方法や投資対象商品を変える必要はない。リスクの大きさが、リスク資産への投資金額で調整できることは案外思考の盲点に入りやすいので気をつけておきたい。

 では、1年、2年といった短い期間と、10年、20年の運用方法が一緒でいい理由が何なのか。「マーケットの有利なタイミングがいつなのかを判断することはできないので、運用期間が短期であっても、長期投資で最も良いと判断できる方法に投資するしかない」という現実がその理由だ。

 何れの場合も、「最も効率的な運用方法(投資対象)」を一つだけ知っていて、それだけを利用すればいいのだ。

 ところで、人の属性・資金使途・運用期間の長短がちがっていても、運用方法は一つでいいという事実は、手数料の高い多彩な運用商品を売りたいと思っている運用業界、金融業界にとっては相当に不都合な真実だ。彼らは、全力を挙げて「人のタイプや、状況がちがうと、適切な運用方法や商品はちがって当然」というフィクションを流布しようとする。騙されないで欲しい。「最も効率の良い運用方法」以外の99%以上の運用商品は、非効率的で無意味に手数料が高いだけのクズ商品なのだ。

 また、この原則は彼らから広告料を貰い、あれこれとバラエティのある記事を作りたいメディアにとっても都合のいい話ではない。メディアで記事を作っている側も、「こんなタイプの人が、こんな状況にある場合のお勧めの運用を提案して下さい」といった体裁で訳の分かっていないFP(ファイナンシャル・プランナー)などに、円グラフなどが予めレイアウトされた記事を発注するので、夥しい量の無意味な記事が出来上がる。

 以上のように、いったん理屈が分かってしまうと、批判は簡単だし、大いに気をつけるといい。

 だが、ここで正直に告白しておこう。筆者も、個人の運用について考え始めてから、この原理に直ぐに気がついた訳ではなかった。

 かつて金融機関で運用の仕事をしていたので、金融機関の自社資産の運用や年金基金などの運用を行う場合にはALM(アセット・ライアビリティ・マネジメント)などの観点から、資金の性格に合わせた運用方法を考えることが自然だったので、個人の資産運用も当然そのようなものであろうという先入観があった。例えば、「高齢者の退職金の運用には、それにふさわしい運用方法があるだろう」と思っていた時代がしばらくあった。前の癖が抜けなかったのだ。

 ところが、個人の場合、資産(主に人的資本)も、負債(人的負債)も両方が相当に柔軟であり、「リスクの大きさと、リスク当たりの期待リターンの効率性」以外には殆ど意味がないことが分かって来た(例外は自社株くらいのものだ)。

 また、逆に、個人の運用を考えてから、年金基金の運用などを考え直すと、金融業界がかなり無駄に複雑な「余計な商売を作った状態」で資産運用を行っていることに気づくこととなった。
個人の場合も、そして実は機関投資家の場合も、最適な運用は普通にイメージされているものよりもシンプルであると考えていい。

(2)平均投資有利の原則

 インデックスファンドがなぜアクティブファンドよりも優れているのかについては、過去に様々な説明がなされているが、どうやらこれが本質らしいと気がついたのが、「平均投資有利の原則」だ。

 それは、「相対的な運用競争にあってはアクティブ運用の平均を持ってじっとしているのが有利だ」という原則だ。

 例えば、S&P500をベンチマークとして米国の大型株のポートフォリオを運用しているとする。仮にアップル株がS&P500のちょうど6%を占めているとした場合に、アップルをオーバーウェイト(6%以上持つ)する運用者と、アンダーウェイト(6%未満の保有にとどめる)する運用者とは、合計金額において拮抗していて、時間が経つとどちらかが勝つのだが、彼らがアップル株のウェイト調整を行う場合には、売買手数料やマーケットインパクトの形で何らかの「コスト」が生じる。

 アクティブ運用を行う場合、全く調整無しという訳には行くまい。一方、平均を持ってじっとしている投資家は調整コストを必要としない。

 平均をじっと保有していると、やがてアップル株の比率である6%は上下するはずだ。平均投資家はじっとしたままこれに追随することが出来るが、アップル株に関するアクティブ投資家は何らかの対応を迫られる。

 ここではアップル株のみについて考えているが、米国の大型株を対象に「アクティブ運用を行う」ということは、他の銘柄も含めて、保有比率に強弱を付けて、これを時々調整するという行為に他ならない。

 ここで平均投資家とアクティブ運用者を比較すると、前者は手数料を払わない参加者である一方で、後者は賭けを変更するたびにカジノに手数料(ギャンブルの世界では「寺銭」と称することもある)を支払うギャンブラーであり、全体としての後者が前者に運用成績上劣るのは必ず生じる優劣だ。そして、アクティブな運用者同士では、端的に言って勝ったり負けたりが繰り返されている。

 ここでインデックスファンドが利用する指数が「平均」に近いものであるなら、アクティブファンドとはこの段階で既に差が生じているし、現実の世界では、インデックスファンドの方がアクティブファンドよりもフィーの設定が安いのだから、さらに差が付く。アクティブファンドに投資することは全く非合理的だ。

「平均投資」が運用競争上強力に優位であることは、ギャンブルで言うと寺銭を多く払うギャンブラーと、寺銭を殆ど払わないギャンブラーの差で成り立っている頑健な事実だ。市場の効率性とか投資理論に関わるような微妙で例外的な条件によって成り立つのではなく、常に成立する平凡な事実なのだ。

 では、仮に、グローバルな株式運用で競争する資金を考えるとどうなるか。たとえば、「世界株平均」に占める米国株のウェイトを中心に、これをオーバーウェイトしたりアンダーウェイトしたりするアクティブ運用を考えることが出来るが、この場合に有利なのは「世界株平均」を持ってじっとしている投資家だろう。そのように考えると、グローバルな株式運用を競争条件とした場合に、有利なのは「世界株平均」に近い内容を持つインデックスに連動する「全世界株式インデックスファンド」ということになるだろう。

 筆者が近年、個人向けのリスク資産運用の対象として、全世界株式のインデックスファンドを推奨することにしたのは、内外の株式の連動性の高まりによって他の組み合わせとの差が縮小していることの他に、現在の世界的な株式運用の競争の場が既にグローバル化しており、グローバル株式の中での競争が益々強化されそうな情勢を考慮した結果だ。「グローバル株式の平均」に近いもので手数料がローコストなものがあれば、これ一本に絞って保有することが長期的には有利だろうと判断した。加えて、投資対象を一本化できることには現実的に多くのメリットがある。例えば、投資アドバイザーが偉そうに説明する「リバランス」が要らなくなる。要らないものは排除しておく方がシンプルでいい。

 個人的には、株式ポートフォリオのアクティブ運用は、かつて大いに情熱を傾けた自分の仕事であった。こうして俯瞰してゲームの構造を考えてみると、アクティブ運用が些かつまらないものに見えてくる点には、少々複雑な心境を抱く。

 尚、言うまでもないことだが、目的は「平均投資」を実行することにあるので、何らかの商業的なインデックスが必要な訳でもないし、インデックス化されていることにありがたみがある訳でもない。むしろ、インデックスの歪みや、銘柄・ウェイト調整による「平均投資」からの乖離、そしてインデックスの使用料などに注意し、解決すべき問題があることを投資家は知っておくべきだ。

 インデックスファンドの利用は方便に過ぎない。

 運用業界は低廉なコストのインデックスファンドばかりで投資家が資金を運用すると不都合なので、インデックスファンドを、「市場が効率的な場合にだけ有効な投資手段」、「初心者向けの商品」、の地位に押し込めようとする。しかし、平均投資有利の原則は頑健な基礎を持っていて揺るぎないし、むしろ、これを理解せずにアクティブ運用にロマンティックな夢を抱き続けていることが「知恵の薄い」行為に見えていることにそろそろ気づくべきだろう。

 インデックス運用や「平均投資」に対しては、株式市場の価格発見機能が衰えるとの批判もある。しかし、これはインデックス運用の普及を妨害する意図で流布する意味のない議論にすぎない。実際には、アクティブ投資家も、チャンスを発見した(と思った)インデックス投資家も、結果の成否はともあれアクティブな運用判断と行動を行う余地が常にあるので、インデックス運用の普及を憂う必要は全くない。アクティブ運用の専門家は、社会的にはむしろ多すぎるくらいのものだろう。

 読者には、平均投資有利の原則を理解して、スッキリした気分でシンプルな運用を実行して頂きたい。

(3)成功報酬のオプション性

 世間を観察していて、誤解(≒ミスプライシング)が実に多いと思うのがこの点だ。それだけに注意が必要だし、逆に利用価値もある点に注目して欲しい。

 成功報酬型のフィー(手数料)契約は、典型的にはヘッジファンドでよく見られるが、しばしば過剰にフィーの受け取り側が有利である。

 これは、旧来のアクティブファンドを運用するファンドマネージャーはスポーツカーを買うくらいがせいぜいだが、ヘッジファンドの運用者は別荘とクルーザーを持っていたりする原因の一つだろう。そして、誰がこれを作り出しているかというと、経済計算が出来ない顧客たちなのである。

 ざっくりした数字で考えてみよう。成功報酬は「獲得利益額を原資産とするコールオプション」だ。

 たとえば、ボラティリティを20%(平時の日経平均よりも少し大きいくらい)、金利・配当をゼロとして、期間が1年のコールオプションのプレミアムは、運用対象とする運用資産額の約8%程度だ。ここで、ヘッジファンドによくあるような「獲得利益額の20%」を成功報酬契約とすると、この契約をフラットなフィーに換算した価値は年率1.6%程度の大きさになる。年金基金などを相手とする機関投資家のフィー水準を考えると、これでも法外に大きいが、ヘッジファンドの運用者は、この成功報酬契約を手に入れた上で、ファンドの運用にレバレッジを使うことによってボラティリティを更に拡大して、成功報酬契約の実質的価値を引き上げることがしばしば可能だ。

 顧客の側は、ヘッジファンドが特別な運用のプロであるという素朴な期待と共に「儲けた時に手数料を取られるならいいではないか」という心理から、しばしばひどく甘い条件を提供してしまうのだ。残念な意思決定だというしかないが、同様・同質のケースが方々で生じやすい。

 応用が利くのは、例えば成果主義型の報酬体系に対する行動だ。例えば、あるプロジェクトに参加して、そのプロジェクトで得た利益の一定割合を獲得できるというような条件があれば、そのプロジェクトに参加して、可能な限り大きなビジネスリスクを取って(ボラティリティの拡大に相当する)勝負してみるような行動が、現代のビジネスパーソンには適している。

「失敗しても最悪クビで済むし、その場合は転職すればいい」という程度の潜在的コストでコールオプションを手に入れて、その価値を最大化する要領だ。

 因みに、米国企業の経営者たちは、株主達に対して「株価を上げてやるから、(自分に)ストック・オプションをよこせ」という形で、経営の複雑さを一種のブラックボックスとして利用しながら、「コールオプションを手に入れてから、リスクを拡大する」手法で大きな富を手に入れている。今のところ株主が満足している場合が多いようだが、そろそろ経営者の報酬が大きすぎるのではないかと疑問の声を上げる向きも出て来た。ここでは、株主、ひいては一般投資家もであるが、「資本家がカモにされる」現象が起こっている。

「日本では、まだまだこれからだから、大いに利用するといい」とまで積極的に推奨しないが、これからを生きるビジネスパーソンは「有利なパターンの一つ」として覚えておくといいだろう。

 労働市場の流動性が増したおかげで、かつてのように、クビになったり組織内の人事評価が下がることが、「マイナスではあっても、致命的ではなく、やり直しは利く」というくらいになって来た。野心のあるビジネスパーソンは、有利なオプションを勇気を持って利用する心がけがあっていいだろう。

 また、投資家の側でも、ブラックボックスを放置して、漫然と株式を保有してリターンを期待しているだけでは不必要な損をするかも知れない時代になっていることへの警戒心が必要だ。いつの時代も、「知らないこと」、「工夫が足りないこと」、さらに「リスクから逃げようとすること」は損のもとになるのだ。

 一般論として、投資でも、ビジネスでも、リスクを避けて守りに入るよりも、適度な(自分にとって無理でない)リスクを取りつつ、工夫を重ねる心がけが大切だ。

「運命の女神は、勇者に微笑む」という諺がある。金融資産でも人的資本でも適度なリスクを取る心がけが成功への近道のように思われる。