「異次元緩和」の効果

「アベノミクス」は、まだ継続中の経済政策だが、安倍政権成立の期待が高まった頃から現在までを暫定的にこれまでの期間と考え、いわば長めの一学期として評価して、これを中間採点してみたい。大学の成績評定でいうと「良」(優・良・可・不可の良)くらいの成績をあげていいのではないかと筆者は考えている。

為替レートの円安への変化と株価・不動産価格など資産価格の上昇によって、景気は9月調査の日銀短観で「+12」(大企業製造業のDI)と出たように概ね回復に向かっており、有効求人倍率も0.95倍と緩やかながら上昇している。消費者物価やコアコアCPIも目標に遠いが、共に上昇傾向にある。

しかし、金融緩和が波及するメカニズムについては、世間で正確に理解されていないように思われる。

アベノミクスは、先ず、為替レート、株式などの「資産価格」に働きかける政策だ。株式市場的には、はっきりいって「株価誘導政策」であると言い切ってもいい。

これは、4月4日に「異次元緩和」を発表した際に黒田銀総裁が記者会見で、ETFの買い入れに対する質問に答えた際に、株式の「リスク・プレミアムには、まだまだ圧縮の余地がある」との発言で明らかだ。リスク・プレミアムが縮むとは、ファイナンス的には、利益や金利などの与件に変化がなくとも、株価が上昇することを意味する。ETFの買い入れを含めて、これを意図しているのが日銀の政策なのだ。

但し、筆者は、株価に関して、ETFの買い入れに大きな効果があったとは思っていない。主として株価に効果があったのは、円安の進行であり、これをもたらした「インフレ目標+異次元緩和(=大規模な金融緩和)」に意味があった。

インフレ目標には、「将来予想される実質金利(の期待値)」を引き下げる効果があった。

物価は将来、上下いずれにも変動しうるが(モデルで考えるならは確率的に変動すると考えてもいい)、たとえば、インフレ目標が「1%」ではなく「2%」と引き上げられると、将来物価が少々上昇した場合でも、2%まで近づかなければ、金融政策は引き締めに転じないだろうという予想形成の変化(即ち期待値の変化)が生じる。

為替レートは実質金利に反応するので、将来の実質金利に対する“予想の変化”が生じると、為替レートには直ちに変化が生じてもおかしくない。

但し、「インフレ目標」が十分有効に信用され、その信用が継続するためには、現実の金融政策がインフレ目標に沿ったものであることが必要だ。今回の場合、日銀による「異次元緩和」は、インフレ目標を裏書きすることを通じて、将来の予想実質金利の低下ないしは上昇防止の効果を持っていたと考えることができる。

インフレ目標の効果とその「裏書き」の重要性

実は、昨年2月に、当時の日銀の白川総裁が発表した、「消費者物価上昇率1%をめどとする」というインフレ目標の変化にも、為替市場に対する効果はあった(2月14日に発表されたので、当時「バレンタイン緩和」とも呼ばれた)。

図1:「バレンタイン緩和」前後の対米ドル・円為替レート


(グラフ出所:ヤフー・ファイナンス。以下同じ)

具体的には、2月14日の発表の後、1月程度円安傾向が続き、3月14日には約6円、円安になっていたが、その後、日銀が追加的な緩和措置を出し渋ったことで、市場は、金融政策の「本気度」を疑うようになり、為替レートは再び円高に戻る推移となった。

その後「アベノミクス」の幕開けに向かうが、為替レートは、昨年11月14日に野田元首相が国会で当時自民党総裁だった安倍氏に解散を「やりましょう」と言った辺りから、顕著に円安に向かう。自民党政権が出来そうであること、安倍氏がデフレ脱却に熱心なインフレ目標論者であることは、当時から広く認識されていたことなので、為替市場に反応が表れ始めることは、自然だった。

そして、自民党は12月16日の総選挙に勝ち、この後の20日に開かれた日銀政策決定会合の記者会見で白川総裁は、「自民党の安倍総裁の要請を踏まえて検討することにした」と述べ、次の1月の会合で2%のインフレ目標の採用を検討する方針を示唆し、1月の会合で「2%」インフレ目標が決定された。さらに、日銀総裁人事が世間の関心を集めて、3月4日には民主党が黒田日銀総裁の人事案に対する同意方針を決定し、「金融緩和に積極的」と見られた、黒田東彦氏が次の日銀総裁となることが確実になった。この間、インフレ目標の文脈が強化される情報が相次いで流れたことになり、円安が進み、同時に株価も上昇した。

図2:「やりましょう」解散から現在までのドル・円為替レート

そして、4月4日の「異次元緩和」の発表となる。この際に発表された緩和措置は(国債買い入れ、ETF・J−REIT買い入れなど)、規模は大きかったが、個々には相当程度事前に予想されていた内容だった。

その後の反応には、解釈の余地があるが、筆者は、黒田・日銀による「異次元緩和」の発表とその後の実施は、「2%のインフレ目標」の堅持とそのために金融緩和政策を継続することに信憑性を与えて、期待実質金利(短期はたぶんマイナス金利)を低下ないし低く維持する役に立ったと考える。

4月4日の「異次元緩和」の「後」よりも、「前」の方が、円安・株高は大きかったとして、効果があったのは「異次元緩和」ではなく、その前の政権交代や安倍氏の勇ましい発言のメッセージ効果だという見方が一部にはあるようだが、為替市場・株式市場は、単にムードや気合いに反応した訳ではない。

重要だったのは、「2%のインフレ目標」の設定と「異次元緩和」の組み合わせであり、後者が前者の信憑性を裏書きしたことだ。これらの二つは、セットと考えて、評価すべきものだろう。

仮に、「異次元緩和」の代わりに、小規模な緩和策しか発表されていなければ、おそらく為替市場は失望から円高に向かっただろうし、日本の株価もそれに併走して大幅下落に転じたことだろう。

また、金融緩和政策の側から「インフレ目標」を見ると、インフレ目標は、一定のインフレ率水準になる迄金融緩和を止めないと宣言することによって、将来の金融緩和の継続を市場に信じさせるための仕掛けになっている。市場に対しては、いわば、将来の金融緩和の継続を予約して、売り渡す効果がある。これは、いわゆる「時間軸効果」を強化しているのだ、と解釈してもいいだろう。

従って、同じ水準の数字を出すとしても、コミットメントの強さの差によって、「目指すインフレ率の目処」よりは「目標」の方が、メッセージ効果が強い、といった「程度の差」が生じることが自然だ。

尚、期間を拡大して(過去5年間)、ドル・円の為替レートと株価(日経平均)の動きを見ておこう。いうまでもなく、近年、「円安(円高)→株高(株安)」の相関関係は極めて強い。

図3:ドル・円為替レート(上)と日経平均、過去5年の推移


追加の緩和措置はありうるか

ところで、今回は、「インフレ目標2%+異次元緩和」のセットで、「将来相当の期間に亘って金融緩和が続く」という期待を資本市場の参加者に持たせることに成功し、「円安→株高」が起こった。

仮に、これが信用されなかった場合には、何が起こり、その場合には、打つ手があったのだろうか。

金融緩和の継続(少なくとも政策金利ゼロの継続)が信用されなかった場合、今回ほど大規模な円安は起こらなかっただろうし、従って、株高もこれほど大きなものにならなかっただろう。

この場合には、どんな手段があっただろうか。効果は未知数だが、手は、いろいろあっただろう。

一つには、金融緩和の規模の拡大だ。たとえば、日銀による、ETFやJ−REITなどのリスク資産の買い取り規模を拡大することは、一定の効果を持つだろうし、為替市場への直接的な介入のように、海外から非難を浴びる心配も無い。もちろん、長期国債の買い入れ増大もあり得る。

金融緩和の規模を拡大して「本気度」を印象づける他に、インフレ目標に対するコミットメント(約束)を強化することも、情報上大きな効果を持ちうる。たとえば、日銀総裁選出の折に議論されたように、日銀法を改正して今よりも明確に政府の管理下に入れることも効果があるだろうし、その上で、インフレ目標を法制化する手もある。

また、インフレ目標の数値を引き上げたり、金融緩和を止めるための厳しい条件を明確化したりといった、コミットメントの強化方法もある。

それでも効果が無い場合には、財政赤字を拡大して、財政で資金需要を作り、これを日銀がファイナンスするやり方があり得たはずだ。「アベノミクス」は、登場当初、(1)金融緩和、(2)財政出動、(3)成長戦略、を「三本の矢」と称したが、ここで必要があれば財政出動の可能性が控えていることが、期待形成上は効いていた。ただし、これまでのところ財政出動と日銀による直接ファイナンスまで登場させなくても、「2%のインフレ目標+異次元緩和」で足りた、というのがここまでの経緯だ。

尚、これらの、金融緩和を強化する方法は、何れも、逆方向に用いると、先に説明したメカニズムが逆方向に働いて、情報上の効果だけで、金融緩和の効果を減殺する効果をもたらす可能性が大きい。

たとえば、金融緩和の規模縮小は金融緩和の継続期間に対する期待を減ずることになるし、インフレ目標のニュアンスを曖昧にすることも円高や株安をもたらすはずだ。また、消費税率の引き上げ実施は、マイナスの財政政策と同じ効果を持ちうることに注意が必要だ。

財務省は、消費税率を8%からさらに10%に引き上げることを目指している。従って、財政的な景気対策を行うことや、日銀に金融緩和追加への圧力を掛けることなどを躊躇しまいと予想されるが、経済の落ち込みが彼らの想定を超える可能性も考えておかなければならない。来年度の消費税率8%実現後の、景気動向には注意を要する。

最後に、本稿の冒頭で述べた。採点「良」の根拠をについて注釈しておく。

評価が「優」でない理由は、来年度からの消費税率引き上げの決定がもたらしかねないデフレ脱却に対するマイナス効果の可能性を減点材料と考えたからだ。

世間には、「成長戦略」として本格的な規制緩和が出てこないことを失望であり、減点材料と見る見方もあるだろう。筆者も規制緩和は必要であり且つ大変いいことだと思う。しかし、これについては、もともと大きなものが実現できるとは全く期待していなかった。従って、改めて減点材料とはしていない。あとは、「2%のインフレ目標」の設定で「不可→可」に、さらに「異次元緩和」によるこの裏書き効果で「可→良」としたのだ、というくらいに考えて頂くと、だいたい実感に近い。