金融庁はこのほど、政府が掲げる資産所得倍増プランの実現に向けて、金融教育を国家戦略として推進するよう提言した。貯蓄から投資を進めるため、金融教育は大きな転換期を迎えている。金融リテラシーの向上に向けて取り組む金融広報中央委員会の武井敏一会長に、金融教育の課題や今後の展望を聞いた。

▼お話を伺った方

金融広報中央委員会
武井敏一(たけい・としかず)会長

1976年日本銀行入行。名古屋支店長、欧州統括役などを経て2008年日銀退職。同年アクセンチュア金融サービス本部特別顧問、2012年国際金融情報センター常務理事、2019年から現職。

金融広報中央委員会:1952年設立。日本銀行内に事務局を置き、中立公正な立場で活動する組織。愛称は「知るぽると」。お金の情報を発信するサイトの運営や、若者向けのeラーニング講座などを手掛けている。
暮らしに役立つ身近なお金の知恵・知識情報サイト「知るぽると」

金融リテラシーの向上、まずは家計管理から

__金融広報中央委員会は、どの様な活動をしていますか。

 国民の金融リテラシーを高めるための情報発信に力を入れている。

 重要なメッセージの一つは、だまされないようにすること。オレオレ詐欺や悪徳商法などの金融トラブルに巻き込まれないよう、金融知識を身に付けてほしい。また、まずは家計管理から始めるということも大切だ。収入と支出を把握し、それを基に住宅、教育、老後の3大資金を計画的に貯められるようにしてほしい。

__金融リテラシーの向上に向けて、どのような課題がありますか。

 当委員会が実施した金融リテラシー調査の分野別正答率をみると、投資の基本である複利の理解が低いことが気になる。ここがわからないと、リスクが大きい株や債券などに踏み込んで投資をするのは難しい。多くの人がSNSの情報に流されてしまうのも、投資の基本が理解できていない点が根本にあるのかもしれない。

 やはり、第一歩としては家計の収支管理をしっかり見直すことが大切だ。過去の例でいえば、1950年代の日本では子どもが学校内で預金業務や帳簿付けなどを行う「こども銀行」という活動が全国で盛んに行われており、当委員会の前身である貯蓄増強中央委員会でもこの活動を支援していた。子どもがお金を大切に貯めることについて学び、習慣づけることができる良い取り組みだと思う。それぞれの年代に合った地道な取り組みが求められている。

資産形成の第一歩は、家計の収支管理をしっかり見直すこと。

職域に課題。社会人にお金の学びを

__世代ごとの金融教育について、現状をどのようにみていますか。

 学校での教育や高齢者向けの金融トラブル防止に関しては、全国銀行協会や日本証券業協会、民間の金融機関などが力を入れている。ただ、振り返ってみると一番肝心なのは職域での若い世代に向けた教育だと感じている。

 学生の時にはまだ実感が湧かないことも、切実感がでてきた社会人になって学ぶことに意味がある。高齢化が進み、日本経済が伸び悩む中、若い世代の中には将来のお金に不安を感じる人も多いだろう。社会人向けのリカレント教育(学び直し)を充実させていくことは、当委員会としても今後の課題だ。

__海外と日本の金融リテラシーに差はありますか。

 日本では古くから家庭や学校においてお金の話を避けがちな文化があり、これが金融リテラシーの差につながっているかもしれない。だんだんと変わってはいるが、家庭や学校において、教える側の意識を変えていくことが大事だ。

__教育内容として充実させていくべきテーマはありますか。

 さまざまな調査から、所得に対してお金を使い過ぎる人が多いことがわかっている。クレジットカード社会の欧米では、カードローンに関する教育が進んでいるという。日本でもこうした流れがでてくるかもしれない。

__政府が掲げる資産所得倍増プランでは、NISA(ニーサ:少額投資非課税制度)の恒久化や金融教育の国家戦略化について、議論が進んでいます。

 2014年に始まった現行の一般NISAは非課税期間が最長5年、投資上限額は年120万円と、十分ではないといわれている。税制改正はそう簡単なことではないが、国民の資産形成を後押しできるのは非常に良いことだ。

 金融教育においては、各団体がそれぞれ独自の教材を制作しているという点も課題だ。国家戦略として投資教育が進めば、職域も含めてもっと効率的に広めていくことができるだろう。

肝心なのは職域への金融教育。社会にでたばかりの若い世代が学べる機会を、一段と充実させたい。

資産形成は、いざという時の備え

__足元の投資環境はどのように変わっていますか。

 全国の証券口座数は右肩上がりに伸びており、特に若い個人投資家が増えているのは大きな変化だ。手軽に始められる積立投資も若い人を中心に普及している。投資に対する意識が高まっているのを感じている。

 若い人にもっと投資に親しんでもらう上で、資産運用の基本となる重要なキーワードは、長期投資、分散投資、積立投資の三つだ。手元資金が少ない人も、長期にわたってコツコツと積立投資を続けることで、投資の複利効果を得られる。さらに、株式と債券、日本株と外国株、といったように投資先を分散させることで、リスクを抑えながら成長のチャンスを捉えられる。

資産運用の3原則

長期 運用期間が長いほど複利の恩恵を受け、安定した収益を期待できる。
分散 投資の対象商品を複数組み合わせることで、一つの商品の価格が急落してしまったとしても資産全体で損失をカバーできる。
積立 あらかじめ設定したタイミングと金額で定期的に投資することで、購入するタイミングに悩む必要がない。ドルコスト平均法(※)を実践できる。
※ドルコスト平均法…価格が変動する商品を、定期的に決まった金額で購入し続けること。価格が下がった時に多くの数量を購入し、価格が上がった時は少ない量を購入することになる。結果として運用成績がプラスになる可能性が高い。
トウシル編集チーム制作

__投資初心者の中には、SNSなどで人気の高いS&P500種指数に連動するインデックスファンド(指数連動型投資信託)だけを1本買いする、というように分散投資が進んでいないケースもあります。

 本来は、S&P500がどのような枠組みかを理解した上で投資することが大事だ。S&P500の良いところは、最新の業界動向や企業業績などを総合的に判断して構成銘柄を決め、それを四半期ごとに見直している点にある。「GAFAM」と呼ばれる巨大IT(情報技術)企業のように、常にその時代を代表する企業がピックアップされる。

 これらのIT企業は高い成長性が期待できるが、一方で米国経済や景気の浮き沈みにより株価の振れ幅も大きい。ほかの商品とどこが違うかを理解して投資先を選んでほしい。こうした知識を身に付けることも重要だ。

__不安定な市場環境が続いています。これから投資を始める人は何に気を付ければ良いでしょうか。

 相場は浮き沈みがあるということを知っておいてほしい。私は、1989年12月に日経平均株価が3万8,000円台の史上最高値をつけた時から7,600円台に一気に下がった時代を経験してきた。底で買って高値で売ることは、そう簡単にはできない。だからこそ、長期、分散、積立でリスクを低減する大切さを実感している。相場の上下に一喜一憂しないことだ。

 今の日本株は当時の史上最高値(3万8,000円台)に比べるとまだ安いし、海外株に比べても上がっていない。国内は人口減で生産性が上がらず、先端分野が育たないという構造上の問題があるため低調だ。しかし、途中で投資をやめずに長期の視点で続けることで、結果として将来の資産を増やすことが期待できる。

__そもそも、なぜ今投資に目を向ける必要があるのでしょうか。

 皆保険制度など社会保障制度が整備された日本ではそこまで必要がないように感じるかもしれないが、いざという時の備えとして、将来のための資産は必要だ。一度の人生、貯蓄だけで生活の楽しみをなくしては良くないが、人生を楽しみつつ備えをしておくことは大切なことだ。

相場の上下に一喜一憂しないこと。投資の基本である、長期、積立、分散を実践してほしい。