個人投資家は情報面で不利か?

 私は、1995年にネットスケープがIPOされる様子を見て、(ぜひ、インターネット株を扱いたい)と思い、ニューヨークからサンフランシスコに移り住みました。

 いま元気の良いネット株というとフェイスブックやグーグルが思い浮かびますが、当時はそもそもインターネットのネットワーク自体が未整備だったので、電話線からネットにアクセスする際に使用されるアクセス・コンセントレーターや、ルーターなどのネットワーク機器メーカーの株が人気でした。銘柄で言えば、スリーコム、ルーセント、シスコらが、激しいシェア争いをしていたわけです。

 当時、時価総額ベースで最大のネットワーク機器専業メーカーはスリーコムでした。スリーコムは「ネットワークの価値は、それに接続する端末や利用者の数の2乗で増加する」というメトカーフの法則の提唱者、ロバート・メトカーフが創業した会社です。

 スリーコムはシリコンバレーのサンタクララにある遊園地「グレート・アメリカ」の近くに新しい本社キャンパスをオープンしたばかりでした。

 内装工事のお兄さん達がつなぎ姿で最後の仕上げをしている合間を通り、総合受付に案内されると電光掲示板に「スリーコムへ、ようこそ、○○さん!」と我々の会社名が掲げられていました。安っぽい演出には違いありませんが、これを見て機嫌を悪くする来訪客はいないでしょう。これがつまりスリーコムの考える来客の歓待の仕方というわけです。

 でも私が、(あれ?)と思ったのは、この総合受付と同じ建物にジムがあって、スポーツウエア姿の社員たちが朝からワークアウトしていたことです。これは社員を大切にしているというメッセージだと思います。それ自体は、別に非難されることではないけれど、(この会社、何となくノンビリしているな)という印象を持ちました。

 一方、ルーセントは東海岸のニュージャージーに本社を置いていました。そこは電話を発明したアレキサンダー・グラハム・ベルの名前を取った、由緒正しいベル研究所のある場所です。

 ここはインターネット・ブームが始まるずっと前から、数々の発明やノーベル賞受賞者を出してきたところで、まるでアイビーリーグの大学の研究室のように、曲がりくねった廊下がどこまでも続いていました。来訪客に、その迷宮のような研究所を見せることで、ルーセントはその技術力を印象付けたわけです。ただ、仕事の進め方の面でもルーセントは官僚主義的で、ゴチャゴチャいろんなことに手を出している印象でした。

 シスコは、それらのネットワーク機器大手の中で、いちばん上下の差を感じさせない、気さくな印象でした。

 IR(インベスター・リレーションズ)の担当者を訪ねると、多くの場合、来客用の会議室すら予約しておらず、「今日はジョンが旅行中だから、彼の部屋を拝借してミーティングしましょう!」と来訪客を社長室に通してしまいます。ジョンとは、ジョン・チェンバースCEO(最高経営責任者)のことです。

 そして、まずIR担当者がCEOのデスクの上に広げられている書類やレターをそっと裏返し、外部の人間に読まれないよう伏せておいてから、おもむろに社長室の中に据えてある円卓を囲んでミーティングするわけです。企業調査で会社を訪問するファンドマネージャーにとって、これは結構、キョーレツな印象を与えます。(こんな風通しの良い会社は、初めてだぞ!)、皆、そう感じながらシスコを後にするわけです。これも後から考えればスリーコムの電光掲示板と同じで、ある種の演出だったわけです。でもシスコの方が巧妙で、アグレッシブな演出と言えるでしょう。

 ジョン・チェンバースはイベントに登壇する際は、いつもステージの真ん中まで、全速力で駆けるクセがあります。年齢的にはシリコンバレーの若いスタートアップ企業のトップよりひと回り上なのですが、挙動は若々しく、彼のスピーチには、いつも高揚感がありました。彼は子供の頃、ディスレクシアと呼ばれる読み書き障害を持っていました。読み書きが苦手な分、数字やスピーチの内容については写真的な記憶力を持っており、メモを見ることなく、スラスラとポイントを列挙することができました。

 さて、これらの企業が1990年代後半のインターネット・ブームで激しく競争したわけですが、勝敗は、かなり早い段階からハッキリしていました。つまりシスコのひとり勝ちです。

 実際、シスコは決算発表のあるごとに、EPS、売上高、ガイダンスの面で全て予想を上回る、完璧な決算をずっと繰り返したのです。

 シスコはフラットな組織で市場の変化をトップが汲み取るのも早かったし、必要であればどんどん買収もしました。IR担当者の言葉を借りれば「我々が恐れているのは巨大なライバルではない。むしろ、今までマークしてなかった新しい会社が、まるで隕石のようにこちらに向かってくる……これは怖い。なぜなら衝突直前になるまで、相手がどのくらい大きくなるか分からないからだ。だから小さくても速いスピードで動いている企業は、手強くなる前に、サッサと買収しておく」というわけです。

 スリーコム、ルーセント、シスコの、このような社風の違いは、もちろん個人投資家の知り得ない情報です。それでは個人投資家は情報面で不利に立たされているのでしょうか?

 私は、そうは思いません。なぜなら3カ月ごとに発表される、毎期の決算で、EPS、売上高、ガイダンスの三つが、ちゃんと予想を上回っているか? という「キホンのキ」さえ押さえておけば、個人投資家でも正しい銘柄を選択することができたからです。

 シスコが「これでもか、これでもか?」というほど、毎期、予想を上回る決算を出し続けたのに対し、スリーコムやルーセントは、良いときもあれば、悪いときもあるというバラツキがありました。くどいようですが、決算だけ見ていれば勝ち馬に乗ることができたのです。

 さらに2000年8月15日からは米国証券取引委員会が「レギュレーションFD(フェア・ディスクロージャー)」というルールを打ち出しました。それ以降、企業は何か発表すべきことがあれば、プレスリリースなどで一斉に公告を義務付けられました。そして会社訪問や証券会社のアレンジするミーティングなどで「耳打ち」的に、こっそり最新情報を教えるのは、ご法度になりました。つまり企業情報へのアクセスに際し、個人投資家と機関投資家を公平に扱わなければいけなくなったということです。

 昔は企業訪問すると、(えっ、こんなこと、ペラペラしゃべっちゃっていいの?)というような耳寄りな情報に接することもしばしばあったのですが、今はわざわざ出張しても、何も教えてくれません。特別な情報には、ありつけなくなったのです。

 その意味でも、決算発表時のカンファレンス・コールだけが、その会社の内容を知る唯一、かつ最善の機会であり、四半期決算を精査する必要性は以前より高まっていると言えます。