公的年金、企業年金、個人の老後計画、運用リスクのちがい

 財政検証から眺めると、公的年金の将来像に「明るい!」という印象は持てない人が多いかも知れないが、公的年金は、主として将来集める保険料や税金を将来の年金支給に回す仕組みなので(「賦課方式」という)、会社の倒産や運用に失敗した年金基金の解散のようにポッキリ折れてなくなるようなことが起こりにくい仕組みだ。現在、巨額の積立金を運用しているが、運用の成否の影響は実はそれほど大きなものではない。

「賃金の伸びくらいは積立金の運用利回りがないと、運用している意味がない」というくらいの意味から、賃金上昇率を上回る運用利回りを運用目標と考えることが多いが、仕組みとしては案外リスクに耐えられる。個人の運用に喩(たと)えると、大家族の子や孫が将来面倒を見てくれる見込みのある大人が、自分や一族の将来に備えて手持ちのお金を運用しているような感じだろうか。

 もっとも、運用による損益が、年金加入者や国民全体にとって影響しない訳ではないし、政治的には大きく注目されるので、運用主体にとって「リスク」が気にならないわけではない。

 これに対して、確定給付の企業年金は、一定の利回り(「予定利率」)を前提として設計されていて、拠出金と将来の支給額が紐付いているので、運用が予定利率をクリアできない場合、明確な不足が発生し、これが大きくなると年金基金の存亡に関わる。

 企業年金の年金基金の場合、運用に失敗して財政的な不足が生じた場合に、母体企業が穴埋めをするルールが確立している。運用でどれだけリスクを取ることができるかの最終的な判断基準は、母体企業の財務の強さとリスク負担に対する意思だ。

 思うに、企業年金の世界は、資産運用業界にあって運用の「標準」として長らく影響力を持っていた。

 企業年金の運用常識は、アセットアロケーション(資産配分)を、積立金に対するパーセンテージで考えたり、将来の利回りをあてにして現在の支出を考えたりするような形で、個人の資産運用の考え方にも影響を与えているが(正直なところ筆者自身も強く影響を受けた)、個人の資産の管理と運用にあって、必ずしも適切でない面がある。もっと分かりやすい例では、パッシブ運用とアクティブ運用を組み合わせる「コア・サテライト運用」は、はっきり言って無駄な手間とコストが掛かる優れない運用方法だが、個人向けの運用で勧める向きもある。

 個人の資産運用の場合、失敗した場合に、損や将来の不足を穴埋めしてくれる頼れる関係者がいない点が、リスク負担を考える上でなかなか厳しい。「将来の運用益をあてにして、今お金を使ってしまう」といった企業年金的なアプローチには危険が伴う。多くの場合、運用の利益が現実に出てから、支出の増額や貯蓄の減額を考えるような一種の保守性を持つことが好ましい。

 もっとも、将来の生活を慎ましくすることに自信と覚悟があれば、他人に気兼ねせずに大きなリスクを取ることができる面が個人の運用にはある。

 個人の場合、将来の年金収入の見込みも考えながら、あくまでも「自分の数字」を元に支出・貯蓄と運用の現実的で破綻しにくい計画を立てなければならない。今回は、将来の年金額について、「手取りベース」で現実的に考えることの重要性を強調しておく。若い人の公的年金は、「政府が見通す順調なケースの下であっても」現在の年金額から2割程度低下し、それはサラリーマンの夫に専業主婦の「モデル世帯」であっても手取りベースでは将来の現役世代の手取り収入のたぶん43~44%程度なのだ。実際にはもう少し厳しく見ておく方がいいかも知れない。

 拙稿がいくらかでも読者のご参考になると幸いだ。