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第2章 資本主義に飲み込まれるか、味方にするか?

<第1話>資本主義より、マシな仕組みがないだけ

 金曜日の夕方、木村隆一は外回りから戻り、営業日報を書いていた。すると、隣に座っている2つ先輩の高田から「おう木村、今日一杯飲んで帰るか?」と誘われた。

「ぜひ行きましょう!」といつもなら即答するのだが、今日は先生のところに行かなければならない。お酒の誘惑をぐっと我慢し、「すいません、ちょっと嫁が風邪でダウンして帰らなきゃいけないんすよ」と返した。

「それは帰ったほうがいいな」と返事ととともに、すぐ他の後輩に声をかけてくれたので、ホッとした。

 隆一の会社は秋葉原にあるので、JRに乗り、新橋に向かった。先生のいる日比谷神社は新橋の飲屋街のすぐ近くで、「なんでわざわざこんなとこにいるんだ。もっと静かなところでもいいのに」と独り言をブツブツ言いながら、向かった。

 神社の横の階段を降り、ドアをノックすると、先生が笑顔で迎えてくれた。

「よく来たね、時間通りだ。誘惑の多い金曜日の夜にちゃんと来るのはいい心がけです。投資で成功するには自制心が必要ですから」との一週間ぶりの先生の声になぜだかうかれ、「当然じゃないですか、せっかく、先生に認められたのですから」と馴れ馴れしく答えた。

「まだ認めたわけではないが、君のひとまずの熱意は買いましょうか。意志ある所に道は開ける、ですから」

 先生はこの前と同じように、挽きたてのサントス豆で淹れたコーヒーのカップを持ち、ソファに腰を下ろした。隆一はアメリカンキルトのカバーがかかったソファに座る。今日はどんな話が聞けるのかと気持ちが高ぶってきた。

「ところで、君が先週来てから1週間経ったけど、何か変化はありましたか」

「そういえば、妻に投資とギャンブルの違いを説明しようとしたんですけが、よくわからない、そんなことよりも給料を上げる努力と方針を説明してほしい、と言われましたよ」

「なかなか君の奥さんも強いね」先生は愉快そうに笑った。

「先生、笑い事ではないですよ。妻にも理解してもらえるように知識を身につけたいです。妻に説明をしていて何か上滑りしている感じでした。きっと、私自身がまだ腑に落ちてないから、妻にも伝わらないんだな」と隆一は自分を納得させていた。

 先生はコーヒーを一口飲む。そして、「確かに、まだ1回来ただけだから、腑に落ちていなくて当然だと思います」と続けた。

投資の基礎体力は何をすればあがるのか

「思ったんですが、なんでも基本ってあるじゃないですか。僕は中学、高校と野球をしていたのですが、上手な選手ってやっぱり基本を大切にしていたんですよね。僕なんか練習が終わればすぐに帰ってましたけど、レギュラー張った奴らは、残って走り込みとかするんです。下半身を鍛えているわけですよ。なんて言うか、投資における走り込み、みたいなものってあるんでしょうか」

「投資における走り込み、か」
 先生は少し視線を下に落とし、続けた。

「それなら、やはり資本主義について理解をすることです。先週来たときの最後に、次回は資本主義の仕組みについて学びましょうと、話しましたね」

「ちょ、ちょっと待ってください。私は別に学者になりたい訳ではないです。資本主義みたいな、大それたものを理解できませんよ」

 隆一の中では、<投資>と<走り込み>と<資本主義>という言葉たちが、いまいちかけ離れていて、うまく繋がらない。それにいきなりなんだかややこしいことを学ばなければいけない気配にも怯んだ。

「学問的な話をしようというわけではありません。それは学者にお任せすればいい。ただ、私たちが暮らす社会と経済の仕組みをきちんと理解することが、君が言う『投資における走り込み』に当たります。野球やスポーツなら下半身強化、ビル建築なら基礎工事でしょうか。これを抜きにすると、投資を小遣い稼ぎの手段としてしか考えられなかったり、あるいは、何も投資なんてしなくても、と尻込みしたりしがちです。これでは、長期投資のメリットを享受することは難しいでしょう」

「長期投資のメリット?」
 隆一はなぜかその言葉が引っかかった。

「こわい」はどこから生まれるのか?

「そこ反応するのは、悪くありません。米国株は過去20年間で3倍になっているという話を覚えていますか」
「もちろん覚えています。さすがアメリカンドリームの国。日本は20年も横ばいなのに」

 隆一のヘラヘラとした軽い返しに先生は反応せず話を続けた。
「長期投資というのは、この20年間で3倍になるリターンを享受することです。ただこれは言うは易し行うは難しで、10年、20年と投資を継続できる人は、少ないのです」

「え、そうなんですか、最初に買ってずっとほったらかしにしておけばいいだけですよね」
 隆一は自分がかつて短期売買で毎日、右往左往していたことをすっかり忘れていた。

「飛行機に乗って大きく揺れると、もしかして墜落するのではと不安になりますよね」
「あれは手に汗をかきますねぇ。あんな巨大な鉄の塊が飛んでいることが不思議なんですから」

「でも、機長やキャビンアテンダントたちは、いかに飛行機が安全か、なぜ飛行機は揺れることはあっても落ちないということを理解しているので、動じないのだと思います。投資も同じで長期的に投資を続ける中で、一定の揺れは必ずやって来ます。それを乗り越えるのに必要な知識の1つが資本主義への理解です。その知識が投資で君が成功する確率を上げることになります」

「先生、わかりました。資本主義の仕組みを理解することが、投資の基礎中の基礎でそれでうまくいくであればできる限り付いていきます。資本主義のことを教えてください」

生活者の欲求が作った資本主義。これからもそこで暮らす

「よろしい。私たちが暮らす社会の仕組み、といいましたが、具体的に言えば、日本は、政治は民主主義、経済は資本主義を基軸とした社会です。大人のあなたに学校の授業のようで申しわけないけど、基本は重要だから辛抱して聞いてください」

 隆一の本心は<投資のコツを知って、もう少しおカネが欲しいだけだから、難しい話は手短に>だったが、ぐっと抑えて耳を傾けた。

「古今東西を問わず、人は権力と富を巡って争ってきました。戦争に勝てば、領地領民を支配し、そこから得られる富を独占する。権力と富は武力で勝ち取るのが人類の歴史だったわけです。しかし、王侯貴族や武士が力で支配する社会が終わり、政治権力は民主主義、つまり選挙で、富と経済権力は資本主義で手に入れる社会に変わったわけです」

 先生は、畳み掛けるように続ける。

「今日、世界を見渡すと、国によって資本主義のあり方はさまざまですが、大枠でとらえれば、ほとんどの国が資本主義を採用しています。欧米ばかりでなく、中国も、国家資本主義や社会主義市場経済などと言われます。世界は、ある意味、日本以上に資本主義の仕組みと価値観で動いているのが実情です」

 隆一は、詳しくは知らないが、資本主義というものになんとなくいいイメージを持っておらず、知っている限りの情報をひねり出して聞いてみた。

「先生、これからも資本主義が続くとおっしゃいますが、書店では『資本主義の危機』とか『資本主義の終焉』といったタイトルが並んでいたように思いますが」

「そうですね。資本主義というと、危機だとか、格差だとか、多くの人から揶揄されることが少なくありませんね。でも、いま見渡せば世界中のほとんどの国が資本主義です。私は、それには、理由があると思っています。1つは、これまで資本主義の国では社会全体の富が増え、株価も上がり、全体としては、そこで暮らす人々の所得水準や長期投資を継続してきた人の資産も上昇してきたからです。もう1つは、資本主義の生い立ちに関わることですが、資本主義は、社会主義のように思想家の理念や理想から生まれた仕組みではありません。理想ではなく人々の現実生活での欲求が創り上げた仕組みです。18世紀末から19世紀にかけて近代工業化を成し遂げたイギリス、フランス、ドイツなどの西欧諸国では、経済社会が大きく変わって、『産業革命』と呼ばれたことは学校で習いましたよね。『資本主義』というのは、その西欧で大きく変化した経済社会の現実を表現するために生まれた言葉です」

 理想ではなく、欲求と現実から生まれた、仕組み――隆一はおもしろい。もう一息知りたい、もう少しで腹落ちでそうな気がして、先生に質問をした。

「これまでのことはなんとなくわかりました。でも、どうして、これからも資本主義が続くのですか?」

「そうですね。将来のことを断定するわけではありませんが、歴史の話をしたのは、資本主義の生い立ちが長続きする理由をもの語っているからです。資本主義の仕組みを産み育てたのは、農村での自給自足の時代から商工業の時代になって、何かの仕事をして自分で収入を得なければ食べていけない人たちです。彼らには、あれこれ制約されずに自由に商売して、やっと稼いだ利益を不当に奪われず、暮らしを楽にしたい、という本音の欲求がありました。資本主義は、理想や理念ではなく、現実に対する本音の欲求が産み育てた仕組みだから生命力が強いわけです。しかも、いろいろ悪く言う人がいても、それに代わる『よりマシな仕組み』が現れていません。だから、なんだかんだといわれても、結局、資本主義の基本的な仕組みは変わらず、私たちも資本主義の下で生活しているわけです」

 それよりマシな仕組みがない、なるほど選択肢がない。隆一はとりあえず資本主義の強い生命力は理解できた気がした。

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