筆者は、獨協大学で「金融資産運用論」と題する授業を週に2コマ担当している。一方では、入門的な運用常識全般の説明をし、他方では、バートン・マルキール「ウォール街のランダム・ウォーカー」(井手正介訳、日本経済新聞社)を半年掛けて精密に読む授業をしている。
前者の授業では、「学生が将来(できれば一生!)困らないような、運用知識」をできるだけ易しく伝えることを目標としており、後者では、「市場の効率性」をめぐる検討を中心に、運用のコツや投資理論の問題点なども含めた、運用に関するやや詳しい内容を話している。
さて、どちらの授業も半年単位なのだが、先日、試験を行った。
今回は、易しい方の授業の方の試験問題についてご説明しよう。
ちなみに、実際の試験では、持ち込みは禁止、試験時間は60分間だ。但し、試験問題は、一週間前の最後の授業の時点で公開している。最後の授業は、立ち見が出る盛況となり、この回だけを見ると、筆者はかなりの人気講師だ。試験の問題文を投影すると、スマホを持った学生達が押し寄せて、撮影会が始まる。
この授業の目的は「少しでも多くの運用知識を持って貰うこと」であり、試験は学生の選別や評価を目標とするものではない。問題文を公開するのは、試験をきっかけに、少しでも知識を増やすきっかけになってくれるといいと思うからだ。
試験時の持ち込みは、科目を担当した当初は「携帯電話も含めて、何でもあり」でやっていたのだが、同文の回答文が頻出したことと、用意した回答を書き写してその後に豪快に眠る学生達の姿がいささか見苦しいので、昨年から「持ち込みは一切なし」とした。
あらためて思うに、運用に関連する「考え方」が頭に入っていないと実際の役には立たないのだから、「持ち込み一切なし」の試験をする方がたぶん本当の意味で親切というものだろう。
親切ついでに、詳細は秘密だが、採点ポリシーも「ものすごく親切」にしている。中学生でも単位は取れるだろう。その代わり、答案の出来によって、評価の「差」は付くようになっている。差を付けないのは、良く書けた答案に失礼だし、教育上も良くない。学生には高評価(「AA=90点以上」が最高だ)獲得をモチベーションに頑張って欲しいと思って出題している。
以下に問題文を掲げる。読者が受験者なら、何をポイントに答案を書くか、少し考えてみて欲しい。
「金融資産運用論a」 春学期試験問題
以下の各問に、それぞれ100字以上200字以内で答えて下さい。
- 個人が社債に投資する場合の問題点を3つあげて説明して下さい。
- 個人が、がん保険をはじめとする民間保険会社の医療保険に入らない方がいいと考えられる理由を説明して下さい。
- ある住宅について、(A)賃貸で住む、(B)現金で購入する、(C)住宅ローンを組んで購入する、の3通りの方法で住むことができるとします。(A)、(B)、(C)の損得をどのように比較したらいいか、考え方を説明して下さい。
- 毎月分配型の投資信託が投資家にとって損である理由と、損であるにもかかわらずよく売れている理由について説明して下さい。
- 今年、NISA(少額投資非課税制度)の口座を銀行に開いた個人がいるとします。NISA口座内の資金100万円をどのように運用するのがいいかを説明して下さい。
解答は次回の連載に回そうかとも思ったが、学生に対してだけでなく、楽天証券ホームページの読者にも親切であるべきだろう。以下、直ちに解答の考え方をご説明しよう。
尚、筆者は、性格的に「模範解答」を書いて示してみたいタイプなのだが、次回以降の試験で、それを丸写ししたような答案を見たくないので、止めておく。大事なのは、あくまでも考え方だ。
(1)目下、個人向けに社債が売られており、そこそこの人気を博しているが、筆者は、個人投資家に社債への投資を勧めない。
止めた方がいいと思う理由の筆頭は、個人には社債の信用リスクの判断が難しいことだ。但し、これは、単に信用リスクがあるからダメというのと異なる点に注意が必要だ。信用リスクがあっても、それを補うに足る利回りがあればいいが、その判断が難しいのだ。加えて、個人の資金では十分な分散投資ができないので、信用リスクへの対処が難しい。
信用リスクの判断は、信用格付けを参考にする手があるが、現在の主な格付け会社の格付けは信用出来ない。発行体から依頼を受け報酬を貰う格付け会社のビジネス・モデルの問題点は、サブプライム・問題から金融危機に至る一連の事態で白日の下に晒されたが、その後も改善されていない。
加えて、社債は業者間の店頭取引で取引されるため、個人投資家側の持つ情報が少なく、保有する社債の適正な市場価格すら知ることが出来ない情報の非対称性の問題がある。
また、そもそも、手間とコストを掛けてまで個人に売らなければ消化出来ない債券は、機関投資家にとって、その条件に魅力のないものだからだという事情もある。
最後に、信用リスクの判断は、実は、プロでも難しいが、プロの場合は巨額の資金を運用するので大規模な分散投資が可能であり、個別銘柄の信用リスクが致命傷になりにくいから、プロは信用リスクのある債券での運用が可能なのだ。個人の場合、十分なリスク分散が出来る資金を持っている場合が少ないので、リスク分散が不足することを問題点の一つとして挙げてもいいだろう。
このように問題点は、4〜5つあげることができるが、問題文では、「問題点を3つあげよ」とした。
信用リスクの判断が難しいこと、を落とした回答は不十分だが、残り二つの問題点は好きに選んで答えて貰っていい。今年の授業を聞いている学生であれば、信用リスクの判断が難しいこと、格付け会社が信用出来ないこと、投資家にとって不利な情報の非対称性が大きくあること、の三点を書くと予想され、事実、点数の高い答案は、そうした構成だった。
採点してみて気付いた残念な答案の主なものは、信用リスクの評価が難しいことではなく、単にデフォルトのリスクがあることを指摘するものだった。デフォルトする可能性があること自体が問題なのではなく、リスク分散が難しいことと、期待される利回りとの関係でこれを「判断することの難しさ」が問題なのだと強調しておく。
(2)これは、点数を取りやすくするサービス問題といっていいだろう。
出題の主目的は、学生に、ネットで健康保険の「高額療養費制度」という言葉を調べて覚えて貰うことだ。これで将来、がん保険をはじめとする民間生保の医療保険に入らずにすむ。一生を通じて、かなりの節約になるはずだ。
答案に、高額療養費制度という言葉があれば、この問題を10点満点とすると、5点は差し上げる、という位の採点基準だ。
加えて、医療保険が条件的に加入者にとって損であること、医療保険に掛かるお金を貯蓄なり投資なりする方が賢いこと、などが書かれていれば満点に近づく。
授業で学生に個人向けのお金の話をすると、「独身の新入社員は、生命保険に入る必要がない」、「民間会社の生命保険は外資系も含めて、付加保険料が高いので極力入るな」など、どうしても生命保険会社には厳しい内容の話が多くなる。正しい話なので、仕方がない。
だが、そのうちに、「生命保険がそんなに悪い物なら、生命保険会社から就職内定を貰ったのですが、就職するのは止めた方がいいでしょうか」と相談に来る学生が現れた。「いいえ。保険自体は有用な仕組みだし、生命保険会社も世の中には必要です。日本で一番良心的な生保マンになることを目指して頑張りなさい」と筆者は答えた。
「私は日本一良心的な生保マンだ」と本気で思い込むような生保マンに育つと嫌な感じで末恐ろしい、とも思うが、立派な生保マンになって欲しい。
(3)住宅に、(A)賃貸で住むのがいいか、(B)購入するのがいいか、購入する場合(3)住宅ローンを使うことの損得はどう考えたらいいのか、は、人生において重要な意思決定だ。
答案としては、(A)と(B)を先ず比較して、次に(B)と(C)の比較を行う形で書くとスッキリ書けるはずだ。
居住用の持ち家の購入も、損得を投資と同様に考えるべきだ。自分が店子として住んでいる物件への投資と同等だと考えるといい。賃貸と購入(現金で)の比較は、将来キャッシュフローの割引現在価値を計算して行うのが基本であり、その際に使う割引率は、リスクも考慮したものであるべきだ。(A)と(B)のどちらが有利なのかは、主として物件の価格による。
次に、ローンを伴う住宅の購は、現金での購入の損得と、ローン契約の損得の二つの損得を合わせたものだ、と理解出来ると、(B)と(C)の比較が出来る。金融論的には、マーケットで形成される金利と住宅ローン金利のスプレッド分だけ銀行が儲かっている筈なので、ローンを伴う購入は現金での購入に劣ると考えるのが基本だ。そうでなければ、十分以上の自己資金を持っていてもローンを組んで住宅を買う方が得になる。
授業にあっては、割引現在価値の考え方について丁寧に説明したつもりだ。普通の人の金融判断では、(1)複利を含む利回り計算、(2)割引現在価値の考え方、(3)リスクの基本的な扱い方、の3点をマスターできれば、一生ほぼ不自由しないのではないかと筆者は考えている。
この問題の場合、採点上主なウェイトは、割引現在価値を考えて評価を行う考え方にある。3つの住み方の長所・短所を別々に思いつくまま羅列しているような答案の評価は低い。
(4)最近、公募の投資信託の残高が史上最高を更新したというニュースがあり、その中で、相変わらず毎月分配型の投信が売れていることが触れられていたが、残念なことだ。
毎月分配型のファンドは、頻繁に分配があることによって、課税タイミングが早くなる分、年1回分配のファンドと比較して、仕組み上「明らかに損」だ。加えて、具体的な商品を見ると、いずれも手数料が高い。信託報酬が1%を超えるような投資信託は、それだけで運用商品失格だ。
金融マンや金融業者に迎合的なFPは、「分配金にニーズがある投資家も居る」と言うかも知れないが、投資家は毎月分配型投信に投資した資産以外に普通預金等の流動性を持った金融資産を持っているはずだし、資産の大半を毎月分配型のファンドだけにつぎ込むのは、ファイナンシャル・プランニング的に正しくない。まして、手数料が高い現実の商品を考えると、毎月分配型ファンドの購入は、「リスクを取りながら、自分で自分に小遣いを払うことに対して、高い手数料を払うような」愚行である。
良心的な金融マンは、顧客に対して、「分配金ニーズ」などというもの自体が不適切な思い込みなのだと丁寧に教えるべきだ。
頻繁に分配すると課税タイミングが早まる分損であること(授業では、数値例を確認したはずだ)と、現実の毎月分配型ファンドの手数料が何れの商品も高すぎることの二点を指摘してあれば、答案の前半は完璧だ。
本来ダメな商品であるにも関わらず、毎月分配型の投信が売れている理由について、筆者の授業では、行動ファイナンス的なバイアスを利用した売り手側の複数のマーケティング・テクニックによるものだと説明している。これは、いわば「行動経済学の悪用」であるが、経済理論を実務に応用して現実に儲かっている実例としては、非常に大規模なもので、注目に値する。
商品設計に売り方を含めたマーケティングで悪用されているバイアスは、「双曲割引」による目先の利得に対する過大評価、「メンタル・アカウンティング」によるインカム・ゲインの過大評価、分配金だけの安定実績から運用全体が安定していると評価する「代表性のヒューリスティックス」、更に、元本割れした状態でリスクに対してむしろ許容的になる現象にあっては「プロスペクト理論」が関連している。
金融工学や行動ファイナンスといった投資の理論は、それ自体が悪いものである訳ではないが、相場で儲けることよりも、金融商品・ビジネスのマーケティングに応用されて成功を収めている。これは、ビジネス的には成功した応用例なのだが、顧客である投資家の側から見ると困ったことだ。
この問題は、筆者が教える金融資産運用論の中心的なテーマの一つだ。
一消費者としての投資家は、金融ビジネス側から情報の非対称性に加えてバイアスを利用されたマーケティングの攻撃を受けていることに対して自覚的になって、特にビジネス上の利害のある他人を簡単に信用しないことが大切だと教えているつもりだ。
この問題の採点にあたっては、前半で毎月分配型ファンドに投資することが投資家にとって損であることが明確に説明されているかという点と、後半では、人間のバイアスの観点から損な商品が現実には売れることの説明が、複数のバイアスを挙げて説明されていることが概ね半々で重視される。
(5)NISAについては、授業中に何度か説明しているが、これは少々難問かも知れない。但し、この問題に限らず、1問を丸々落としても、他の問題の回答が良ければ十分「AA」が可能な配点になっているので、これはいわばチャレンジ問題だ。
さて、ETFを買えない、顧客の資金事情を知りすぎている、店頭で扱う投資信託商品の手数料が高い、などの理由で、銀行では投資信託を買わない方がいいことと、NISA口座は銀行に開くべきではないこととは、授業で何度も説明している。銀行の方には申し訳ないが、筆者の授業では、銀行及び銀行員を警戒しなければならないことを、繰り返し述べている。
しかし、この設問では、一ひねりして、NISA口座を銀行に開いてしまった場合の善後策を問うている。現実にもかなりの数で存在する「残念な人」へのアドバイスを考えて貰う。
銀行によっては、ネット取引専用でノーロードで取り扱っているファンドをNISA口座で買うことができるようになっている場合がある。こうしたファンド群の中から、信託報酬の安いインデックス・ファンドを探すことが出来れば、最も得な場合(ネット証券でNISA口座を開いた場合である)と比較した損を1百万円当たりの投資について年間で数千円単位に抑えることが出来るはずだ。
先ずは、この点を発見出来るかどうかが第一のポイントだ。答案を採点してみると、少数だが、このポイントを押さえた学生もいる(えらいぞ!)。
次に、100万円の運用方法だが、NISAのお金の運用法が幾つかの要素から合理的且つシンプルに決めることができる事は、授業でももちろん教えているし、楽天証券のホームページの筆者の過去の連載記事(例えば第196回「日本版ISAでの正しい運用法」)を見ると、授業に出ていなくても分かる。
ポイントは、(1)資産運用全体の計画を考えた上でその中の期待リターンの高いパートをNISA口座に割り当てる(内外の株式が良く、バランス・ファンドはダメ)、(2)途中で売却したくなる可能性の小さな対象に投資する(個別株よりも投資信託がいい)、(3)手数料的費用のできるだけ小さな商品に投資する(アクティブ・ファンドはどれもダメで、インデックス・ファンドがいい。特にETFがいい)、といったことが、一般的な原則だ。
具体的な投資の例として、内外の株式に対するインデックス・ファンドがいいことに触れて貰ってもいいし、設問では銀行でNISA口座を開いてしまったので、ETFが利用出来ない事に対する言及があってもいい。
実は、「金融資産運用論」の試験対策は、楽天証券の筆者の連載記事を調べるとほとんど完璧にできるのだが、筆者は教室では、有能な証券マンであるよりは、節度ある教師でありたい、と思っているので、教室で楽天証券の宣伝をするようなことはしない(先日も、楽天証券ともう一社のネット証券会社をの名前をあげて「どちらのネット証券で取引口座を開くのがいいか?」と質問した学生がいたのだが、「分からない」と答えたくらいのものだ)。
さて、答案を採点してみると、1、2年生よりも、3、4年生の方が明らかによく書けている。これは毎回感じることだ。単に試験に慣れるだけでもあるまい。大学に入ってなお成長しているのは結構なことだ。獨協大学の教育がプラスに働いているということの証拠ではないだろうか。
尚、半年間筆者の授業に付き合って頂いた学生、さらに試験を受けた学生(数的には前者の3倍くらいいる)には、大いに感謝する。「ありがとう!」、「お疲れ様でした」。
最後に小言を一言。今の学生達は、ネットが発達した試験対策のやりやすい時代に生きているはずなのだが、この問題に限らず、検索でピントの外れたホームページを見つけて、そこから書いたとおぼしき誤答がたくさんあるのが残念だった。全ての授業にまで出なくてもいいから、せめてもっと上手に検索し。出てきたものを評価出来るようなセンスを持たないと、筆者の授業の単位くらいは取れるとしても、就職してから使い物にならないぞ、と一言脅かしておく。知識も要領も大いに磨いて欲しい。