三つの大きな期待と四つの重大なリスク、投資判断は「中立」

 今回の買収が成立するか否か、まだ分かりません。仮に、買収が成立するとした場合、日本製鉄の未来にどういう影響を及ぼすか、考えてみます。

 日本製鉄の未来に、この買収がもたらす三つの大きな期待と、四つの重大なリスクについてコメントします。

三つの大きな期待

【1】成長市場である米国へのアクセスを獲得すること

 日本製鉄は、自動車や家電向けのハイエンド・スチール(高級鋼材)に強みを持ちます。付加価値の低い汎用品が少なく、高度な技術を要するハイエンド・スチールをトヨタ自動車などにヒモ付きで提供しています。

 ただし、国内市場は成長性が見込めず、今後は海外での販売拡大が必要です。特にEV(電気自動車)などで高い需要の伸びが見込まれる米国市場での拡販が重要です。

 ところが、米国は鉄鋼業について、長年にわたり保護主義を強化してきました。主なターゲットは安価な汎用品で攻勢をかけてくる中国メーカーです。日本のハイエンド・スチールは、同じ製品をつくるメーカーが米国にないため、直接規制されるリスクは低いものの、それでもさまざまな非課税障壁があり、日本からの輸出を拡大するのは困難です。

 こうした中、USスチールを買収して日本製鉄から電磁鋼板などで技術供与し、米国現地生産・現地販売を拡大する術を得ることは大きなメリットです。

 また、経済安全保障の観点から米中で経済分断が進みつつありますが、USスチール買収で米国に深く入り込むことができれば、そのメリットは極めて大きいと考えられます。

【2】規模の利益を得ること

 日本製鉄は2022年の粗鋼生産量で世界第4位ですが、第27位のUSスチールを買収すれば第3位に浮上します。規模が拡大することにより、購買力や販売力、技術開発力が強化されるなど、メリットが期待されます。

【3】鉱山、電炉を獲得すること

 USスチールは米国内で鉄鉱石鉱山を保有します。同社買収で、原料から一貫生産できるようになるメリットは大きい。

 また、USスチールは2019年に電炉メーカー、ビッグリバースチールを買収しています。高炉中心の日本製鉄は、今後、二酸化炭素を排出しない電炉を強化する必要に迫られますが、今回の買収で電炉メーカーを手に入れることができるのもメリットです。

四つの重大なリスク

【1】買収価格が高く、財務への負担が大きいこと

 USスチールの株価は、昨年来大きく上昇しており、日本製鉄はさらに40%のプレミアムを付けて買うので、買収価格はかなり高くなりました。同社の収益力から評価して、買収価格は高過ぎる可能性もあります。今年は円安が進んだので、円を使って米ドル建ての買収をするコストが高くなるという問題もあります。

 2兆円の買収資金は銀行借り入れで調達しますが、日本製鉄の財務にとって重い負担となります。ただし、日本製鉄は、長年にわたる構造改革によって財務・収益力を強化してきたので、2兆円買収を実行してもすぐに財務に問題が出ることはありません。

【2】USスチールの高コスト体質を変えるのは至難の業

 USスチールの凋落は、高コスト体質が招いたことです。トランプ前大統領が保護主義策として輸入鋼板に高い関税をかけたために米国内の鉄鋼市況が高騰した恩恵で2020年から黒字化しましたが、それまでは長年にわたり赤字続きでした。

 USスチールには、米国経済を長年にわたりけん引してきた名門の誇りがあり、労働組合が強力で、赤字が続いてもコストカットがなかなかできない問題があります。

 日本製鉄は技術導入によってUSスチールを立て直すことに勝算があるとみていますが、リストラによるコストカットはできないと考えられます。

【3】資産査定が十分にできているか分からないこと

 これだけの大きな買収交渉を秘密裏で進める間は、入念な資産査定ができません。巨額の買収を決めた後になって初めて、知らされていなかった不良資産が次々と見つかることもあります。そうした問題が起こらないか、もし起こった時、買収を撤回できる条項が入っているのか、分かりません。

【4】水素製鉄への転換コストがさらに重くなる可能性

 鉄鋼産業(高炉)は、電力産業と並び、CO2排出が大きい産業です。高炉の生産プロセスで、原料炭を使うためです。将来的には、原料炭の代わりに水素を使う「水素還元製鉄」【注】への転換が必要です。

 ところが、その技術開発・設備投資に莫大なコストがかかります。その負担に耐えるのには、相当な経営体力が必要と考えられています。

 日本製鉄は、財務・収益力強化の構造改革を完遂したことで、この負担に耐えうると考えられていました。ただし、弱体化したUSスチールを抱え込むことで、その負担がさらに重くなる懸念もあります。

【注】水素還元製鉄
 鉄鉱石を還元するのに石炭(コークス)を使わず、水素を使う製鉄法。高炉では、鉄鉱石(酸化鉄Fe2O3など)から酸素(O2)を分離する(還元する)ことによって、鉄(Fe)をつくります。そこで石炭からつくるコークスを利用します。コークスは炭素(C)の塊で、鉄鉱石を熱して溶かし、酸素を分離(還元)する際に、大量のCO2を排出します。

 水素製鉄法では、コークスの代わりに水素を使うので、CO2ではなくH2Oが出ます。ただし、その際に使う熱の供給にエネルギーが必要で、それを自然エネルギー由来の電力でまかなわない限り、環境中立の製鉄法となりません。

 以上の考察より、アナリストとしての日本製鉄の投資判断は現時点で、「中立」です。今回の買収提案によって、日本製鉄の未来に大きなアップサイド・ポテンシャル(上昇の可能性)が付加されました。同時に、大きなダウンサイド・リスク(下落リスク)も抱え込んだと言えます。