誰が搾取されるのか

 トウシルの読者は「搾取」という言葉を日常的には使わないかも知れない。主にマルクスの文脈で使われる言葉だからだ。筆者も例外ではなかった。搾取の「搾」は簡単な漢字だが、つい最近まで、読めるけれども、書くとなる2、3秒考えてからになるような文字だった。

 ここのところ、「搾取」について考える機会が増えたのは、一つには「株式投資のリターンの源泉はどこにあるのだろう。誰が、株式のリターンを供給してくれているのか?」という問題を考えたからだ。「経済は、主に、リスクを嫌う人が安く働くことで、資本の形でリスクを取っている人に利潤を提供する事で回っている」という辺りに問題の答えがあるらしかった。リスクを嫌って、雇用と収入の安定を求める人は、自分が生産に貢献している利益分よりも遙かに安い報酬で(時には憮然と、時には嬉々として)働くので、企業側に利益が発生する。これは、マルクス的に眺めると、「搾取」による利益発生に見える。

 そのようなことを考えていた時に、「まんがで読破 資本論」(学習研究社=現Gakken)の解説文を書く仕事を依頼されたり、「落語で資本論」(立川談慶著、的場昭弘監修・解説、日本実業出版)という新刊書籍の感想を求められたりということが重なった。

 前者の解説文(文庫版で30ページ超)には、本稿で述べることの基礎になる内容が含まれている。労働者、資本家のどちらに加担するのでもない、公平で実用的な解説を書いたつもりだ(労働者に加担しない資本論解説は珍しいと思う)。

 後者は、資本論との関連よりも、非資本主義的な精神空間を作って暮らしていたらしい江戸の町民達の気風と代表的な落語の噺の紹介が楽しい。因みに、同書の最後で紹介される「居残り佐平次」は、筆者の最も好きな噺の一つであると同時に、「搾取に勝てる労働者像」を提示した名作だ。YouTubeなどで複数の落語家の演じぶりを味わってみるといい。

 さて、「搾取」と言うと、自由を奪われて労働を強制され、労働の成果をピンハネされるようなイメージが浮かぶかも知れない。かつて、そのような事例があったかも知れないが、現代の労働は、少なくとも法的・権利的に労働者側の離脱の自由を伴う自発的な行為だ。だから、一言で言うと、多くの会社員が自発的に搾取されている。

 搾取の具体的なイメージは、例えば、一人の労働者が一日に平均3万円の利益につながる労働を提供する時に、彼(彼女)に支払われる日給が1万円であるような状態だ。マルクスの世界だと、この「1万円」は労働力の再生産コストとして決まり、これを上回る貢献分を全て資本家が吸い上げる。

 今日的な経済学の言葉で言うと、不完全雇用の状態で強度の需要独占が成立している労働市場でこのような事態が起こりそうだ。

「労働者の貢献を資本家が吸い上げる」と言うと、いかにも資本家が不当な利益を得ているように思うかも知れないが、一つ注意が必要なのは、資本家はリスクを取って資本を提供しているのに対して、労働者は収入のリスクを取っていないことだ。ここは大きなちがいだ。

 そこで、先に述べたように、「経済は、主に、リスクを嫌う人が安く働くことで、資本の形でリスクを取っている人に利潤を提供する事で回っている」という理解に至る。

「それにしても、資本家の得る利益が大きすぎるのではないか?」、「労働者は、先のケースの日給1万円よりもマシな条件を得ることはできないのか?」などの疑問が湧くが、最も生産的な問いは、「こうした現実の下で、労働者はどう行動したらいいのか?」だろう。

 考えるヒントにするために、漫画版・資本論の解説のついでに作った「資本」を巡る利害関係者の相関図を以下に掲げておく。

(図)

搾取を逃れる四つの方法

 現代の会社員を考えよう。殆どの会社員が、図で言う「労働者タイプA」だ。お互いによく似ていて「取り替え可能」であり、会社に指示された通りに働いていて、当面の安定雇用と収入の確保に満足しているが、賃金は上がりにくく、マルクス的に見ると見事に「搾取」されている。

 搾取はされていても「まあまあに暮らせている」と思う恵まれた会社の会社員から、「生活はカツカツだ」と感じるマルクスの想定通りの会社員、「体力・精神的に会社が辛いし、子供を持つなど無理だ」と思うマルクスの想定以下(そう。諸君の境遇はマルクスの想定以下なのである!)の会社員まで範囲は広い。

 マルクスは、賃金が次世代の労働力を再生するコストも含めた労働の再生産コストぎりぎりに収斂し、それ以外の生産への貢献を剰余価値として資本家が巻き上げる世界を考えた。

 しかし、現代の会社員労働者は、正社員でも所得の低い層では収入が「再生産コスト」を下回るし(たぶん、子供2人は育てられない)、非正規の条件で働く場合には低収入に雇用の不安定が加わる。

 ついでに指摘しておくと、「再生産コスト」はしばしば、無償の家事労働(多くは女性による)や自然環境の破壊など、経済取引の外にある世界を「収奪」することを伴いながら決定される。これは由々しき事態だが、これに対しては「資本主義が悪い」から資本主義を止めてしまえと考える立場と、経済取引外の適切なルール設定と外部コストの経済取引への取り込みが必要だと考える資本主義的仕組みを修正して利用する方が上手く行くと考える立場があるように見える(筆者は後者を支持する)。

 さて、現実に戻って、「労働者タイプA」がいかに自分を巡る事態を改善するといいのかを考えよう。「改善」を考えるのんびりした状況よりも、心身の健康を損ねるような状況からの脱出を模索しなければならない切迫した状況に置かれている場合もあるだろう。

 対策は、「資本論」の原典よりも、むしろ「まんがで読破 資本論」の漫画の状況を思い浮かべる方が考えやすいように思うが、以下の四つが有効だ。

【対策1】転職のオプションを持つ

 不本意な労働条件や働き方を「我慢」するだけでなく改善するためには、現代なら転職が有力な手段になる。転職できる労働者は、会社を選ぶことが出来るので、「会社側の需要独占」というマルクス的な労働市場成立の条件を部分的に崩すことが出来る。

 可能性を追求してみないで「転職なんて出来るはずがない」、「転職しても条件は好転しない」と決めつける人が現代でも少なくないが、単に努力不足だ。

 あるいは「転職しても条件は好転しない」と考えるしかない人の場合、既に本人の貢献が報酬を下回る状態なのかも知れない。この状態は、悪く言うと「働かないオジサン」と揶揄される状態だが、ある意味では正社員のポジションをキープすることで資本を搾取し返している状態なのかも知れない。ただし、この状態は今後も安定的とは言えないし、快適であるようには思えない。「働かないオジサン」も本稿で述べる対策を講じることが望ましいと思う。

【対策2】特技を持つ

 仕事上の特技を持つことで、「取り替え可能な労働力(労働者)」のポジションから距離を置き、交渉力を改善して、よりマシな条件で働けるようにする方法が会社員にはある。

「余人とは代え難い」業務上の知識を持つとか、法律、ファイナンスなどに関わる技能を持つとか、アプローチの方法は様々だ。また、例えば経営者と良好な人間関係を持つといったアプローチもあり得る。

 何れにしても、時間と努力の投資が必要だし、周囲の他人、同業のサラリーマンといった潜在的競争相手と「ちがう人」になることに意味がある。

 解説を書いた漫画の中では、搾取される労働者が「俺たちは奴隷じゃない」と言って資本家に反発するのだが、労働者達は何れも言われたままに働くだけで、仕事上の工夫を提案した訳でもないし、受け持ちの労働以外のスキルを身に着ける努力をした訳でもない。一言で言うと「皆同じで、工夫がない」のだ。待遇が改善しないのも無理はない、と感じた。

【対策3】副業を持つ

 まだ十分ではないが、近年、会社員が副業を持つことが、かつてよりはずいぶん容易になった。

 副業を持っていると、収入の足しになることに加えて、「自分には会社とは別の世界がある」という点が精神的な安定に寄与する。副業が後に本業に転化することもあり得る。収入的な条件は悪くとも、副業を持つのはいいことだ。

【対策4】余裕のお金を持つ

 低収入だと生活が苦しいのは分かるとしても、収入と金融資産を使い果たしてしまって「今の場所で働くしかない」という条件に自分を追い込むのは、厳しく言うなら不用意である。

 いわゆる「ブラックな」条件で働かされている場合、会社と交渉するにも、転職活動をするにも、あるいは心身の健康を守るために仕事を休むにも、しばらく暮らすことが出来るくらいのお金が要る。

 逆説的に聞こえるかも知れないのだが、「貧乏な人ほど、貯蓄が要る」のだ。

「収入の○○%で暮らして、××%は貯蓄や投資に回せ」といったファイナンシャル・プランナー(FP)のアドバイスに対して、経済的な余裕が無い人ほど真剣に耳を傾ける必要がある。実のところ、お金持ちにはFPは切実には必要ないのかも知れない。

資本家になる

 多くの人が「労働者タイプA」であり、会社に、さらには会社を通じて会社の所有者たる資本家に多大な利益を提供している現状がある。

 因みに、筆者自身は、対策1と対策2に注力したつもりだが、基本的に「労働者タイプA」の範疇を出ることがなかった。正直な自己評価として「ビジネスマンとしてB級以下」だった。

 さて、現代にあっては、労働者が資本家になることを目指すことも出来るし、労働者と資本家を兼ねることも出来る。

 特に、チャレンジに当たっての機会費用が小さい若い人には、起業を試みたり、起業の初期段階の会社に参加したりする形で、会社の株式ないしストック・オプションを手に入れて、大きな経済価値の獲得を目指す方法がある。

 多額の借金を負うような危険な投資ではなく、「失敗しても、ゼロからやり直せばいい」といった限定したリスクでチャレンジできる点と、成功した場合のリターンが大きい点が、「株式性のリターンを目指す働き方」の長所だ。

 また、ストック・オプションにありつけるような会社に勤めることが叶わない場合は、収入の一部を積立投資に回して「部分的に資本家になる」こともできる。運用資産が大きくなると、資産からの収益が増えるので、収入に占める「資本家比率」が向上する。

 何れの方法を取るにせよ、あるいは併用するにせよ、「資本家のポジション」が経済的なリターン獲得の上で有利なら、部分的にでも「資本家」を目指すことは合理的だ。

 ただし、資本のリターンの有利性は絶対的なものではない点には注意が必要だ。資本のリターンはリスクがあるからこそ、無リスクのリターンよりも大きいのであって、投資の大失敗は常にあり得ると考えなければならない。

「長期投資なら絶対大丈夫!」などと言えるものではない点については、注意を申し上げて置く。

運用商品における搾取

 ところで、「搾取」は得られたリターンから、必要最小限のリターンを労働者に支払って、上澄みを資本家がピンハネする構造であった。実は、これと同じ構造が、金融商品の販売現場に存在する。

 対面セールスの金融機関の収益を考えてみよう。投資家は、投資対象である株式や債券などから得られたトータル・リターンの中から、手数料を差し引いたリターンを受け取る構造になっている。ただし、リスクは通常100%顧客である投資家の負担だ。

 個々の金融商品についてもそうなっているし、金融口座の中で商品の入れ替え勧誘が行われるような場合には、手数料で「搾取」されるリターンが益々大きなものになることは言うまでもない。

 ただ、この搾取は、投資家側が意識と行動を変えることによって縮小し大半を回避することができる。

 現在、全世界株式のインデックス・ファンドの信託報酬率は年率0.05775%以内という辺りに最安値が収斂している。

 これは、資産100万円当たりの、ほぼ最善と思われる運用対象(筆者はそう思う)の運用コストが年間578円以下であることを意味する。繰り返すが「100万円当たりの運用コストが年間578円」なのだ。

 これ以上のコストを支払い、「搾取」を拡大されることを思うと悔しくないだろうか。まして、あなたは「資本家」なのだから。