営業話法としてのゴールベース・アプローチ
一言で言って、ゴールベース・アプローチは、金融機関の営業マンが使う単なる「営業話法」の一つに過ぎない。金融先進国の米国で流行しているからと言って、優れた資産運用の方法では全くない。投資家の側では一切相手にしなくていい。
しかし、金融機関の側から見ると、この営業話法はなかなかよく出来ている。
先ず、顧客が将来自分のやりたいことをイメージして、そのイメージと金融的なサービスとを関連付けてくれることは、営業する側から見て悪くない。顧客は、自分の夢を否定したくないし、夢と関連付けられている金融サービスに好印象を持つ可能性が大きい。「お客様の夢をかなえるための方法を、ご一緒に考えたいと思います」と言われると悪い印象を持たないだろう。
売るべき商品が「運用サービス」でなくても、生命保険、不動産、自動車といった顧客にとって大きな支出になるものであれば、顧客の人生の夢に寄り添うという名目の営業話法は普遍的に有力なやり方なのかも知れない。
加えて、顧客に将来の夢のあれこれを語らせると、金融機関側では顧客に関する情報を豊富に得ることが出来る。例えば、顧客の家族の資産の状況や、不動産取得のニーズなど、別のビジネスにつながる情報が手に入る可能性が大きい。
人生にあって、専門家に相談したい問題がしばしばあるのは現実だ。ビジネス、家族関係、健康、教育、税金など様々な問題がある。しかし、これらの問題を「お金」加えてその「運用方法」と結びつけて考えることは全く余計だ。
顧客の側では、個々のテーマに応じて、コンサルタント、税理士、医師、心理カウンセラー、などに費用を払って相談するのがいい。
人生相談の費用を資産運用で払うな
ゴールベース・アプローチと名乗るか否かは別としても、今後、対面のリテール金融営業はゴールベース・アプローチ的な方向に変化することが予想される。顧客の人生にまとわりつくような営業アプローチが展開されるだろう。だが、「顧客の人生に伴走する」というお題目は、営業マンが「いつまでもつきまとう」ということの言い換えに過ぎない。
資産の額にもよるが、人生相談の費用を金融資産運用の手数料から支払うのは全く馬鹿馬鹿しい。資産運用を、将来の夢と関連付ける必要はない。運用はシンプルで効率的な方法を淡々と自分で実行するといい。
米国で流行っているものが、顧客にとっていいものだとは限らない。ゴールベース・アプローチのようなものを有り難がるのは止めておこう。
【コメント】
殆どが米国発のものを輸入してありがたがるパターンだが、新しいサービスや商品、コンセプトなどを批判する時、それを実際の商売の種にしている金融マン(しばしば知り合いである)がいることに胸が痛むのだが、この「ゴールベース・アプローチ」もその類いのものの一つだ。このアプローチの勉強会を催したり、実際に顧客にこの言葉を売り込んでいる人物が、残念ながら今も存在する。
ゴールベース・アプローチ自体は、例えば「ALM(アセット・ライアビリティ・マネジメント)」のように定義と手法が確立されている「体系的手法」というよりは、この言葉で括ることが出来る富裕層向けの「営業話法」全般がその実態だと筆者は考えている。そして、営業話法として考えた時、「売り手側から見て」これはよくできている。即ち、金融の世界では「買い手側では要注意」であることを意味する。
米国では、富裕層顧客から資産をラップ運用の形で預かってフィーを取りながら、ファイナンシャル・アドバイザーが顧客の人生に「伴走するように」コンサルティング的なトークを繰り出す形でビジネスが行われているようで、それなりに利用されているようだ。だが、実態は、ありがたい「伴走」というよりは、金融セールスマンに「つきまとわれている」だけであり、本文にも書いたように「人生相談の対価を資産運用の手数料で払う」ような馬鹿げた支出になっていることが少なくない。
わが国でよくある「ファンド・ラップ」はその高すぎる手数料を金融庁がしばしば問題にするような「要注意サービス」だし、投資顧問的に資産を預かるサービスも「資産残高ベースのフィーは、情報サービスへの対価として高すぎて不適切」なので、お勧めしにくい。まして、顧客に対して「米国で最先端のゴールベース・アプローチです」と言って売り込むようなセールスマンの金融センスには問題があると思う。
「ゴールベース・アプローチ」を警戒せよ、という結論は全く揺るがない。もう一歩進めて、「ゴールベース・アプローチ」に釣られることを恥だと思え、と申し上げておく。(2023年5月2日 山崎元)