アセットアロケーション(資産配分)は、投資の結果に対して重大な影響を及ぼすが、答えとなる配分をクリアに示すことができて「こうすればいい!」と主張できる決定的な方法がない。
決定的な答えに自信を持つことができず、しかし、投資家本人にとっては重要であるため、専門家といえども、投資家に対して「答え」をアドバイスすることはできない。良心的にやろうとすると、自分でアセットアロケーションを決めるための方法をアドバイスして、投資家が自分でアセットアロケーションを作ることを手助けするのがせいぜいだ。
他人のお金を扱う以上、たとえば株式の運用でも同様なことがいえる。しかし、アセットアロケーションの決定は、投資家の運用パフォーマンスに対して(時には人生に対しても)、株式ポートフォリオのベンチマークに対する勝ち負けとは比較にならない規模で大きな影響を与えるので、上記の性格は一層強くなる。
しかし、全ての投資主体がアセットアロケーションの方法論について詳細に理解し、これを実践できるわけではないし、それが必要なわけでもない。アセットアロケーションに取り組む主体別に、いくつかの段階のレベル分けがあり得る。
特に、個人投資家に対しては、どの程度の簡便法を適用すべきなのか、あるいはもっと有効で分かりやすい簡便法はないのかが、悩ましい問題となる。
ただし、アセットアロケーションの方法は多様だし、「決定的な答え」があるわけではないのだが、「これこれの前提条件に対して、これは明確にダメ」と言えるアセットアロケーション法は多数存在する。「答えは人それぞれだ」と言いたがるFPなどが、明らかに誤ったアドバイス(たとえば、リスクと期待リターンの辻褄が合っていないもの)を行うことがあるので、注意して欲しい。
今回と次回で、主体別のアセットアロケーション方法を大まかに分類してみよう。読者ご自身はどれで行くか、検討してみて欲しい。
研究者:マルチ・ファクター、ダイナミック、などと名の付く複雑な方法
当然ながら、ファイナンスの研究者はさまざまな方法を研究している。筆者が全てを把握しているわけではないが、大まかには、複数のファクターを持つもの、資産価格の変化に動的に対応するもの、何らかの均衡モデル、がある。
将来の消費や収入をヘッジする要素を入れて考えると、リスクは単一の大きさだけの問題ではなく、複数の種類を検討することが必要だ。経済状態を「均衡」としてモデリングするものと、そうでないものがあるが、複数のリスク・ファクターを考えるアセットアロケーションを考えることができる。たとえば、将来、商品価格が上昇すると困るビジネスを営んでいれば商品価格になにがしか連動するリスクポジションを持っているべきかも知れない。あるいは、証券会社に勤めているなら、株価の上昇は収入の増加をもたらす可能性が大きいから、株式への投資比率は小さい方がいいかも知れない、などと考えることができる。将来の消費や収入の性格が分かれば、それに対するヘッジを考えることは、理論的には容易だ。
しかし、現実的には、将来の消費や収入のリスクの特定化と予測は難しいし、アセットクラス毎のリターンをどのようなファクターで説明し、それを具体的にどう測るかが難しいし、最終的に複数のリスクをどう統合して期待リターンとの間で最適解を求めるかも難しい(注:理論的に行うことは割合簡単だが、現実のデータで行うのが難しい、という意味で)。
結局のところ、複雑で精緻な処理装置を作っても、曖昧なインプットに対しては、曖昧な結果以上のものは返ってこない、という当たり前の事実を超える魅力のあるモデルはなかなか登場しないのが現実だ。
状況によって、ダイナミックに(動的に)ポジションを変えるタイプのアセットアロケーションを考える金融学者もいる。これも、論理的な筋は通っていても、具体的な適用が難しいケースが多い。この種のプランは、話だけ聞いていると、「右足が沈む前に左足を出して、その左足が沈む前に右足を出せば、忍者は水面を歩くことができる…」といった感じの「上手すぎる話」になることが多いので注意したい。生き物の世界には、水面を走るトカゲのようなものがいるようだが、実際の金融市場では、取引コストが掛かったり(体重に相当する)、スピードが追いつかなかったり(運動能力に相当する)ということが多く、上手く行かない。また、資本市場では、リスクフリー・レート以下に沈まない努力はできても、トカゲのように自分に好都合な方向に走る(儲ける)ことはできない。
別のアプローチとして、たとえばCAPM(資本資産価格モデル)の国際市場版のようなものを考えて、「これが答えだ!」といったものを提示するモデルもあるが、論理の段階で破綻しているものもあるし、ハッキリ言って現実的な前提から論理を積み重ねたものではないので、仮に論理はまあまあでも実用にならない。
学者には、これからも新しいアイデアを研究して貰うことを期待したいが、実用性を考えると、機関投資家にあっても、個人投資家にあっても、当面直ちに応用できるような方法論が登場することは期待薄ではないか。
年金基金、保険会社などの機関投資家:ALMを組み合わせた最適化法
後述のように、公的年金のように大手の機関投資家でも、平均分散アプローチ(「Mean-Variance法」→「M-V法」)ないし、その変種で、つまり単一のリスクで且つ一時点のアセットアロケーションのアプローチを採っている場合が多い。
しかし、完全積み立て方式の年金や、生命保険会社のように、将来に必要なキャッシュフローをある程度正確に見積もることができるライアビリティ(負債)に見合う資産を運用する場合、負債に対する相対的なリスクを意識するALM(Asset Liability Management)の考え方をアセットアロケーションに応用することができるし、これは、現実的に必要だ。
ALMの必要性がはじめに強調されたのは、かつてアメリカで金利が上昇した時に、アセット側(主に融資債権)が長期契約かつ固定金利で、これに対するライアビリティ(預金)が短期契約且つ変動金利であったことで銀行が破綻した事例があったからだ。
これに対して、1990年代の後半から2000年代の前半にかけて、日本では、複数の保険会社が破綻したり、多くの企業年金が縮小ないし解散したりしたが、こちらは、金利の低下によって長期のライアビリティの現在価値が拡大し、これに資産が追いつかなかった(追いつかないばかりか、株価下落などで縮小さえした)ことが原因だった。
どちらのケースでも、資産側だけでなく、負債側のコントロールにも問題があったが、ALM的な常識をもって経営していれば大失敗は避けられたはずだ。ALMで管理するリスクとして考え得るのは金利リスクだけではないが、ライアビリティのキャッシュフローが読める時には、金利リスクくらいは考えておくべきだろう。
個人の場合、収入と支出が負うリスクが連動することが多いので、ALMを意識する必要はあまりないかも知れないが、年金と資産運用だけで将来食べていく退職者のようなケースでは、「インフレでどうなるか」だけではなく「低金利でどうなるか」といったALM的リスクへの配慮が必要な場合もあるだろう。
一般機関投資家:M-V法
日本の公的年金をはじめとして、多くの機関投資家(プロの投資家)が、リスクを標準偏差と相関係数で表現し、アセットクラス毎の期待リターンを勘案して、最適なポートフォリオを作るといったロジックの下でアセットアロケーションを行っている。
もっとも、同じ方法を使っても結果はバラバラで、似た性質の年金資金を運用している、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)、KKR(国家公務員共済組合連合会)、地共連(地方公務員共済組合連合会)、企業年金連合会は、それぞれ全く異なるアセットアロケーションを行っている(官僚達は、この不整合が気にならないのだろうか?)。
もちろん、リスクに対する態度が変わったり、個々の資産クラスの期待リターンが異なっていたり、リスクの推定方法がちがっていたりすると、異なる結果が出るので、結果が異なることが必ずしもおかしい訳ではない。
時に、「期待リターンが1%ちがうと、結果が大きくちがう。M-V法は、実用には向かない」といった意見を聞くことがあるが、これは、論者がM-V法の扱い方を十分知らない(主に期待リターンの扱い方が分かっていない)からだろう。
M-V法の欠点は、論理的に考えると、複数の性質のリスクを単一の標準偏差(ないしは分散)に単純化することと、現在と将来のこれまた単純な二分法の下で時間の経過が内生変数化されていないことだろう。
ただし、研究者のアセットアロケーションの項目で述べたように、モデルを複雑化しても、そのモデルが生きるような精度のあるインプットが現実には得られないケースが多いので、理解と操作が容易なM-V法を十分使いこなすことが、実用的なのではないかと思われる。多くの年金基金や運用会社が、基本的にはこのアプローチに従っているのは、これが現実的な選択肢だからだろう。
筆者の個人的な意見として、FP(ファイナンシャル・プランナー)のような個人に対するアドバイザーは、M-V法を完全に使いこなせるレベルの知識とスキルを持っていて欲しいと思う。この程度の常識を持っていて、個人向けに簡便法をアドバイスするのでなければ、簡便法のどこに最適でない点や注意すべきリスクがあるのかを説明できまい。
次の機会には、個人投資家向けのアセットアロケーションの方法(必然的に何らかの簡便法になる)について説明したい。