ウォール街で口にする事がタブーとされている「D」ワードがあります。この言葉が広がってしまうと消費者心理に悪影響を与え、消費を控えたり、借金返済に動いたりという行動に繋がる可能性があります。これが経済全体に広がって経済活動が停滞するようになれば、ますます悪循環を生むという性質を持っています。そう、日本の皆さんにはお馴染みのデフレーションです。

特にここ数週間、アメリカでデフレの兆候とも取れる市場の動きが観測されます。まず3月の終わり頃から金や銅、アルミ、ニッケルなどの商品価格が急落を始め、先週時点で1年ぶりの安値を付けています。3月末に97ドル台だったNY原油価格も今月に入って急落、先週85ドル台を付けました。債券市場では3月に2%を超えていた10年物国債利回りが急低下、本稿執筆時点で1.69%となっています。

何故今、このようにあちこちの市場でデフレの前兆とも取れる動きが出てきているのでしょうか? 最も影響していると考えられるのはドル高です。金融危機以降、ドルの対主要通貨指数は下落を続けてきましたが、1年半位前から主に欧州危機の影響で、そして半年前からは主にアベノミクス円安の影響で、現在、約2年半ぶりの高値を付けています。ドルは中国をはじめ、多くのアジア諸国と動きが連動していますから、アメリカのみならず、それらアジア諸国にも通貨高によるデフレ圧力が強まっている事になります。

例えば先々週財務省から発表された日本居住者による証券売買状況によると、外国株式、外国中長期債ともに、年初からほぼコンスタントにネット(売却額マイナス取得額)で大量売却が続いています。外国証券が円建てで上昇する中、日本の投資家は専ら売り手に回っているようです(長い間円高が続いたので無理も無いのかもしれません)。円安傾向は続いているので、そういった売りは外国通貨建て資産価格に対する下落圧力の形で表れます。商品市場は証券市場に比べて市場規模が小さいので、そのような売り圧力を吸収できずに価格下落の形で表れていると考えられます。

私はアメリカ経済は持続的な回復軌道に乗っていると考えていますし、株式相場に対しても強気で良いと思っています。ただ、そのような見方の中、リスクがあるとすれば何かと聞かれれば、デフレを挙げます。

アメリカが量的緩和という、いわば実験とも言うべき非伝統的金融政策を採用し始めて4年半が経ちますが、いくつか分かってきている事実があります。第一に、影響が出るのは外国為替市場が最も早い事、第二に、量的緩和が銀行の貸出し増につながるようになるにはかなりの時間がかかる事、第三に、当初想定されたよりもかなり大きな金額が必要になる事等です。

このような中、今回もしデフレが訪れるとどうなるでしょうか? 日本も積極的な量的緩和を開始したので、アメリカの量的緩和が外国為替市場に与える影響は相殺されます。銀行貸出し増に与える効果は時間がかかります。最近のFRB関係者の発言は「QE3をいつ終えるか」に集中しており、QE3増額などかなり可能性の低い話でしょう。QE3の効果が出なくなった時に財政で支えられるかというと、ご覧の通り、議会のねじれた今の状態ではとても無理です。なので、本当にデフレが訪れるとなれば、アメリカは今、それを防ぐ有効な手段を持ち合わせておらず、市場にそれを見透かされた時は、スパイラル的にデフレ圧力がかかるリスクがあるのです。現時点で可能性は低いと思いますが、念のため、頭の片隅に置いておく必要はあるでしょう。

世界的に財政状況の悪い状況が続く限り、各国は長期的には借金を通貨に置き換える事によって、即ちいずれインフレを起こす事によって解決を図っていくものであり、それは歴史が物語っている所です。これまで例外であった日本も、ようやく他国同様、借金を通貨に置き換えはじめたのであり、いわば世界が協調してデフレを退治し始めたという点では望ましい動きとも言えます。その意味では最近アメリカで見られるデフレの兆候は、日本がこのような世界の動きに歩調を合わせ始めた事に伴う一時的な調整によるもの、と考える事ができます。

もっとも元はと言えばこのデフレ、長年続いた円高によって世界各国から日本に輸出され続けてきたものなのです。日本では最近、輸出が伸び悩み、貿易収支の赤字が定着化してきている事に対して懸念する声が出ています。しかし一方で、ポジティブな面を忘れてはなりません。それはこれまで日本が、どんなに優れた日本製品よりも輸出したかった「D」の輸出が着実に伸び始めているという事実です。

(2013年4月23日記)