軍事的観点からも、中国企業の対米上場に警戒心を強める共産党
最後に、「米国で上場」という点です。
今回の通告、声明文の中で最も重要なのが、「国家安全を守る」という動機、「国家安全法」という法的根拠。当局は、サイバースペース、ハイテク企業、情報・データ管理といった分野で関係が悪化し、相互不信が増長している米中関係という観点から本件をにらんでいるのです。
どういうことか。
私自身が以前、北京で出くわした場面を紹介します。
ある夏の夕方、軍関係の知人と一緒に、知人がダウンロードしたDiDiアプリを使ってタクシーに乗り、軍施設に向かったことがあります。軍施設は機密情報のため、住所検索しても運転手のスマホのナビ上には表示されず、知人は口頭で運転手に指示して目的地へと向かいました。
我々が下車する頃、運転手は興味津々に、検索不能な住所とはどういう場所なのだと、窓から顔を突き出していました。彼が何を思ったのかはともかく、顧客データや乗降場所のデータはきっちり残ります。結果的に、DiDiのデータベース上には、同軍人の個人情報、向かった軍施設の位置などが残ります。それらは紛れもなく、共産党、政府、解放軍が、外国人はおろか、一般的に知られたくない機密情報です。
そして、DiDiは米国に上場しました。筆頭株主はソフトバンクで、次がウーバー、いずれも外国企業です。私が知る限り、中国当局は、現段階で、DiDiと「米国」「外国人」との関係を“黒”だとする、つまり、DiDiが外国の政府や企業に中国の機密情報や中国人の個人情報を提供している、あるいはDiDiが蓄積してきたデータが外国に吸い取られているという証拠はつかみ切れていません。
しかしながら、国家安全保障や米中間の経済競争に重大な影響を与えるのが必至である潜在的リスクが現実的に生じ得るという前提に立って、今から動いています。それが、国家安全の観点から発動した今回の「DiDi事件」をめぐる最大の真相だと私は分析しています。と同時に、同社が米国でIPOした直後というタイミングはあまり関係ないと見ています。
それを証明する一つの状況証拠が、7月6日、中共中央弁公庁と国務院が連名で発表した、《法に基づいて証券違法活動を厳しく取り締まる意見》。海外市場に上場する中国企業への監視強化;国境を越えたデータの流れや安全性に関する規制強化;証券市場における違法行為の取り締まり;不正な証券発行や市場操作、インサイダー取引の処罰;国内証券法の域外適用などを規定しています。
中国語で約4,500字、計30項目から成るガイドラインです。この手の《意見》は、構想、フィールド調査、政策立案、文書化などを含めて、党、政府におけるあらゆる部署間の調整が必要とされるもので、短くて1~2カ月、通常で3~4カ月、長ければ半年以上をかけて作成していくものです。
《意見》が、本レポートでケーススタディーとして扱った3社の米国でのIPOを受けて立案、作成された可能性はゼロです。ただ、米国がトランプ政権からバイデン政権に移行する過程でも、米国の対中制裁、不信が止まず、そんな米国に自国の、それも国家安全保障に関わる情報やデータを蓄積する企業が上場するという情報をつかみ、企業側と意思疎通を行っていく過程で、《意見》の作成に本腰を入れた可能性は十分にあると思っています。
その意味で、7月4~5日に3社への通告が正式になされ、その翌日に《意見》が公表されたことは必然的だと言えるでしょう。
今後、(1)中国国内に広範なユーザーを抱える民間企業、(2)中国国内に膨大なデータを蓄積するIT企業、(3)グローバルな資本市場、特に米国で資金調達をする上場企業は、引き続き、あるいはこれまで以上に、当局からの監視、監督、制裁を気にしながらビジネスを展開していかざるを得なくなるでしょう。
最後に一言。
この趨勢(すうせい)は、いまだ出口の見えない習近平新時代における常識であり、前提です。好き嫌い、良い悪いではなく、それが14億から成る、グローバルに影響力を拡大する中国という強大経済、巨大マーケットなのです。私たちも、そんな中国市場を前に、一つ一つのニュースに一喜一憂するのではなく、辛抱強く、長期的に捉え、付き合っていくべきだと思います。