サウジアラビアの石油産出コストは1バレル当たり10ドルを下回ると言われているのに何故、原油価格下落によってこれほど影響を受けるのでしょうか。それは、サウジアラビアの4分の3にも及ぶ人口の雇用がオイルマネーによって支えられており、その雇用コストを勘案した損益分岐点は、2015年末時点で95ドル近くとなっているからです。更に、徐々にアメリカと軍事関係が希薄になりつつある一方で、同地域の地政学的リスクは高まる一方であるため軍事費の削減もままならず、同国の人口動態を考えれば、今後損益分岐点が大幅に低下するというのは考え難い状況にあります。

このような状況を反映して、本稿執筆時点でサウジ・リヤルの3カ月物金利は2.3%台と、約8年ぶりの高水準を付けています。アメリカ・ドルの3カ月物銀行間金利が0.7%台ですから、その差は1.6%。例えば10倍レバレッジを効かせてサウジ・リヤル買い、ドル売りをやって1年後も固定相場が維持されていれば16%もらえる計算になりますが、市場というのはかなり高い確率で、結果的にそのような利益が出ないような方向、即ちリヤルが切り下げられる方向で圧力がかかっていくものです。

為替市場では原油価格の下落と共に、殆どの産油国の通貨が下落してきました。ロシアのルーブルは2014年に比べて半分近くになりましたし、カナダドルやメキシコペソも20-30%の下落となっています。産油国である限り、原油価格下落によって通貨が下落するのは、為替の経済調整機能からしても当然のことですが、最大の産油国であるサウジアラビアだけは固定相場を採用していますから、その歪みが日に日に膨らんでいくばかりなのです。

もちろん今後原油価格がまた2年前の水準である100ドルに向かって上昇していくのであれば、現在の固定相場を維持できていく可能性が高まるでしょう。しかし、原油価格急落の大きな要因となったアメリカのシェールオイルの損益分岐点の中間値は、2年前には70ドル台だったのが、現在は50ドル台にまで下がってきていると言われているため、現在45ドル近辺の原油価格が大きく上昇していくのは極めて難しいのではないかと思います。

そして何よりも、サウジアラビアは通貨を切り下げることによって多くの問題を解決できるようになります。財政面では、軍事を含む政府関連の多くの雇用を維持でき、これは延いては王国であるサウジアラビアを政治的に安定させられることになります。経済的には外貨準備の更なる減少を食い止めることができますし、原油市場では価格競争力が上昇します。購買力は低下しますが、他の様々な問題が一気に解決できることを考えれば、優先順位は高くないのではないかと思います。

さてそれでは、サウジアラビアがリヤルを切り下げればどのような問題がもたらされるのでしょうか。それは世界的な、更なるデフレです。世界最大の産油国がその通貨を切り下げるのですから、原油市場に与える影響は小さくないでしょう。先進国の中央銀行がデフレと戦う中、新たな「敵」が現れてくるわけで、デフレとの戦いをより困難にする一因になる可能性があります。アメリカでは年内にも追加利上げが予想されていますが、それどころではなくなってくる可能性もあるでしょう。

歴史を振り返っても、固定相場制というのはそもそもマグマの溜まり場であり、それが崩れる時に金融市場に与える影響は小さくありませんでした。古くは1992年の英ポンドのERM離脱時や1997年のアジア通貨危機、最近では中国人民元の切り下げが市場に少なからずショックを与えたのは記憶に新しいところです。ファンダメンタルズから考えれば、サウジ・リヤルの切り下げは普通に予想可能だと思います。そして原油価格の低迷が続く限り、それは時間の問題と想定しておくべきでしょう。

(2016年9月2日記)