中国の何が問題なのか?

 問題は、中国という国家の異質性、特異性に見出せると個人的には考えます。体制、体質、国民性などを含めてです。「中国の特色ある社会主義」という政治体制を採用し、市場経済が社会主義の支配下で展開される中国。そこでは、党や政府から命令、要求されれば、民間企業や一般市民はそれに従うしかありません。

「お上」から強要された市民が、その恐怖から身を守るために、世論で声を上げても、メディアに「ネタ」として持ち込んでも、それが明るみになることは往々にしてありません。政治と社会、政府と市場の関係、メディアの役割と責任を含め、これらは基本的に中国の政治体制に立脚しています。

 と同時に、中国の人々は、日本を含めた他国民に比べて、個人情報が明るみになったり、軽率に扱われたりすることへの拒否反応が小さいようです。特に、「お上」である党や政府が、政治や社会の安定、為政者としての権威性を確保するという観点から、人民に個人情報の披露や共有を求める場合、拒否反応を示すどころか、自ら喜んで応じる場面も多々あります。「それがお国のためになるなら」という「愛国心」を覚える人も少なくありません。

 私がここで指摘したいのは、今回のLINE問題でも核心的テーマの一つとなっている個人情報の管理をめぐって、日本と中国では、その前提や舞台が全くことなるということです。関連企業を監督する立場にある当局も、企業の商品やサービスを利用する立場にある国民も、何をもって国民のプライバシーとするか、それらはどう守られるべきかなどをめぐって、背景としての体制や国民性は相いれないと言えます。

 それ自体は問題ではありません。すべての国には独自の法律やルール、社会の構造や国民性があり、国と国の間でギャップが存在するのは当たり前のことです。問題は、そういう国同士で、国境や制度を跨いで取引をする場合に生じ得るリスクをどう管理するか。それらをめぐる説明責任をどう果たし、透明性をどう確保していくかにほかなりません。

 その意味で、私から見て、今回のLINE問題は「氷山の一角」でしかありません。

 今後、特に中国のような政治の体制や社会の体質を異にする国家、マーケットと付き合っていく際に、前提としてその異質性と特異性を念頭に置いた上で、行政が扱う国家機密や国民の安全を左右し得る個人情報に関わる企業が(情報だけでなく、技術や資本を含め)、リスク管理と透明性確保を事前に整え、各種事業を展開していく必要があるということでしょう。