人間が持っている時間は1日24時間で、この点について例外はありません。だから「時間管理術」みたいな本が人気を集めるわけですが、結局それも1日24時間のなかで無駄を省き、動きを効率化することによって隙間時間を捻出し、そこから新しい何かにチャレンジして付加価値を上げるという話でしかありません。
でも、株式投資を通じて他人にも働いてもらえば、実質的に自分の1日の持ち時間を増やすことが出来ます。時間という限りあるリソースを有効活用できるのです。
ここで勘違いしてほしくないのは、株式投資すればすぐにリターンが得られるのではないということです。どんな企業であっても企業価値を高めるには相応の時間が必要なので、ゆめゆめ短期間で儲けようとは思わないことです。また、実際にやってみると分かることですが、自分以外の仕組みを働かせることはリスクを伴ううえに、それほど簡単ではないということです。
ただし、時間というリソースが限りあるからといって、働く年齢を先延ばしするのだけは止めて欲しいと思います。
最近、雑誌の記事や本で見かけるのですが、「身体が元気なうちは70歳でも75歳でも働こう」などと言っている知識人が増えています。年金財政が厳しいこともあります。老後の生活に必要な経済力を維持するためにも出来るだけ長く働きたい、ということなのでしょう。
先にも述べましたが、この動きには敢えて異を唱えたいと思います。確かに高齢者が働き続けることが出来れば、年金受給開始時期を後ずれさせることも可能だし、良いことづくめのように見えるかもしれません。しかし、大事なことを見落としています。それは体力の面でも知力の面でも若いころに出来たことが出来なくなっている高齢者を雇用し続けることで、企業の競争力が削がれるということです。
グローバルな資本主義の中では、世界中の企業が同じルールに基づいて熾烈な競争を繰り広げています。日本だけが特殊なルールを導入して不利になったところで、だれも救いの手を差し伸べてはくれません。日本企業だけが相対的に沈んでいくことになってしまうのです。
そもそも会社は何のためにあるのかということを、真剣に考えたことはあるでしょうか。恐らく大半の人は、こう考えると思います。
「自分が給料をもらって生活するため」
間違ってはいないのですが、これは給料をもらう自分のことしか考えていない人間の答えです。
では、本当に正しい答えは何か? 企業の本質的な存在意義は何か? それは「社会に付加価値をつけるため」に尽きると思います。資本主義は、そのように世の中に付加価値を提供できる企業どうしを「神の見えざる手」によって競い合わせることで、より効率的に機能させる近代最大の発明です。「利己」を追求するところに「利他」が生まれるという考え方です。
確かに資本主義は万能ではなくて、貧富の差の拡大などその弊害も指摘されるところです。その弊害については緩和するような手段が必要ですが、競争による効率化という根幹部分を壊してしまっては元も子もなくなってしまいます。
個人個人では解決出来ない社会や顧客の問題を解決するべく、異なる能力を持った個人が集まって相乗効果を発揮するために作られたものが会社という形態であって、それこそが会社の本来的な存在意義です。決して構成員である従業員に給料を支払うために存在しているのではないのです。ここを誤解している人が結構います。支払われる給料は、あくまでも会社が社会の問題を解決したことの結果にすぎないのです。
<『ビジネスエリートになるための教養としての投資』より抜粋>
全編読む:『ビジネスエリートになるための教養としての投資』