農林中金<パートナーズ>長期厳選投資 おおぶね」を運用している農林中金バリューインベストメンツのCIO「奥野一成」が、『ビジネスエリートになるための教養としての投資』を執筆、投資の本ながらビジネス部門で話題となっている。

 投資と本来の投資のあり方とその哲学、長期投資のコツ、優良企業の見極め方などを、歴史的な背景や実例を交えながらわかりやすく解説するこの著書は、投資を今から始める人、投資の運用に困っている人にぜひ読んでほしい。

 トウシルでは、この本の中から、ぜひみなさんに読んでほしい内容を10編ピックアップ。今回は3回目を紹介する。

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「時間」という有限のリソースを有効に配分する

「自分が働く」ということと「自分以外を働かせる」という2つのことを組み合わせることが不可欠として、その優先順位について述べてみたいと思います。優先順位をつける上で重要なのは、皆が持っている「時間」というリソースには限りがある、ということを知ることです。

 昔、まだ若かった頃は、時間なんていくらでもあると、私も思っていました。1週間後に楽しみにしている予定などがあると、一日一日の過ぎるのが本当に遅く感じられたものです。

 ところが、それから40年近くが経つと、1週間なんて本当にあっという間です。私は世にいう「アラフィフ」なのですが、気づくと1年という時間でさえあっという間に過ぎていきます。そして時間というリソースは有限なんだということを、改めて実感します。若い頃はいくらでも時間がある。けれども、私のような年齢になってくると、残された時間はどんどん少なくなっていきます。何をするにしても無駄打ちは出来ない。たまたまランチで行ったお店が不味いと、1食分を無駄にした気持ちがフツフツと沸き上がってきて、腹が立ってくるのです。

 話が脱線してしまいましたが、時間というリソースをどうすれば有効に配分できるのかについて、若いうちからきちんと考えているのといないのとでは、50歳以降の人生が大きく変わってしまいます。「自分が働く」にしても、投資という技術を使って「自分以外を働かせる」にしても、時間こそがその効果を増幅してくれる変数だからです。自己投資をして自分の給料を上げるにしても、株式に長期投資してその企業の成長からリターンを得るにしても、「短期間で」効果を得ることは不可能なのです。そしてどちらの手法を採ったとしても、その効果は時間の経過とともに、まさに雪だるま式に増大します。これをファイナンス用語では「複利効果」といいます。

 正直なところ時間というリソースの貴重さに気づいたのが60歳過ぎだと、もはや手遅れです。よく、「退職金で運用を始める」という話を聞きますが、その人は「複利効果」の重要性について理解が不足していると言わざるをえません。そういう人は、とにかく今、自分が持っている資産でなんとかするより他に手はありません。預貯金を少しでも積み増していくのか、一攫千金狙いで、大きなリスクを抱えるのを覚悟のうえで投機的な運用に手を出すのか、それは人によってさまざまだと思いますが、60歳になるまで何も考えず、労働者1.0の人生を送ってきた人が、いきなり投機に手を染めてもうまくいく可能性はまさに「神のみぞ知る」といったところでしょうか。その年代の人たちは公的年金による老後のサポート効果が若い年代にくらべて大きいので、それを頼りながら、生活レベルを下げ、勤労世代だったときより支出を減らすことを真剣に考えた方が良いでしょう。子供も独立しているはずなので、一戸建ての自宅を売却し、夫婦で住める程度のマンションにリサイズするとか、そもそも生活費の高い都会から地方に住居を移すのも有効だと思います。

 一方で、時間という限られたリソースをたくさん持っている若い人たちは、いろいろなことにチャレンジできます。

 ここで大事なことは、「時間」「能力」「お金」という資産、リソースは概ね交換可能であるということです。大学生の息子には、「今、君がバイトで得られるものは1時間あたり1000円だろうが、その1時間を英検1級を取ることに費やし、クリアしたなら、君のバイト料は3倍以上に跳ね上がるよ」と言っています。

 子供のうちは「お金」という要素は、これら3つの中で切り離されていて、親が面倒を見てくれます。子供のうちにやる勉強などの活動は「時間」を「能力」に変える活動なのです。大人になってから、その「能力」と「時間」を「お金」に変えて生活するのです。「お金」だけが切り離されていた子供から、大学生、社会人になるにつれて、この3つの兌換(だかん)性は上がっていきます。事業に成功すれば、お金で時間を買うこともある程度は可能になります。残念ながら老いてしまうと自らの「才能」そのものの改善余地は少なくなってきますが……。

 このように考えると社会人になって初めてやることは「貯金」ではありません。大学卒業まで学んで身につけた「能力」で食っていけると信じているのなら、世の中を甘く見ているということです。したがって、若くて時間がある若いビジネスパーソンがまずやらなければならないこと、やり続けなければならないこと、それは「自分への投資」です。継続的に自己研鑽することで、「自分が働く」場合の単価を上げるのです。「自分が働く」場合の選択肢、つまり転職や副業の選択肢を広げるのです。

 もちろん、ある程度の貯金は必要です。だいたい1年間くらい無職になっても大丈夫なくらいの現金があればよいでしょう。この人口減少の日本において、職をえらばなければ何をしてでも生きていくことはできます。日本は国民皆保険制度を含め、社会保障制度も充実しています。心配することなく、アップサイドを狙う方が絶対に得です。ものすごいスピードで動いているビジネスの世界で英語、会計、税務、マーケティングでも何でも構いません。自分が持っているスキルセットの中から、これから自分が歩んでいくビジネスパーソンの人生に照らしてこれが足りない、あれが足りないというスキルがあったら、それをひたすら磨いて下さい。

 投資対象はそういったビジネススキルだけではありません。どんどん見聞を深めるべく旅行をしたり、いろんな体験をしたりしてください。「はじめに」でも述べましたが、世界のビジネスエリートは、「自分の言葉で語れる」ことが不可欠です。それには様々なビジネス経験、人生の経験を自分事として捉える主体性が最も重要なのです。それが20代のうちにやっておくべき投資です。とにかく人間力を含めた自分の能力を高める自己研鑽にお金を注ぎ込みましょう。

 そうこうしていると、徐々に自分のスキルが向上し、総合力もついてきて、ビジネスがうまく回るようになります。成功体験を積み重ねていけば、上司からの覚えもめでたくなり、どんどん昇進・昇格できるでしょう。当然、毎月のお給料も増えていきます。そこで生まれた経済的な余剰分を、今度は余すことなく株式投資に回すのです。そうすることによって、自分の働きによるキャッシュフローだけでなく、他人の労働によるキャッシュフローも将来的に得られるようになります。

 たとえば、自分の仕事が飲食業だとして、その仕事だけに専念していたら、得られるキャッシュフローは飲食店の売上でしかありませんが、日本電産の株式に投資すれば、日本電産のモーター事業からのキャッシュフローも得られることになります。自分自身が働ける時間は8時間でも、株式に投資することによって、自分が属している産業・事業・企業とは異なるところからお金が入ってくることになります。時間あたりの効率性は格段に増すことになるのは言うまでもなく、そのキャッシュフローの源泉を分散することができるのです。

 人間が持っている時間は1日24時間で、この点について例外はありません。だから「時間管理術」みたいな本が人気を集めるわけですが、結局それも1日24時間のなかで無駄を省き、動きを効率化することによって隙間時間を捻出し、そこから新しい何かにチャレンジして付加価値を上げるという話でしかありません。

 でも、株式投資を通じて他人にも働いてもらえば、実質的に自分の1日の持ち時間を増やすことが出来ます。時間という限りあるリソースを有効活用できるのです。

 ここで勘違いしてほしくないのは、株式投資すればすぐにリターンが得られるのではないということです。どんな企業であっても企業価値を高めるには相応の時間が必要なので、ゆめゆめ短期間で儲けようとは思わないことです。また、実際にやってみると分かることですが、自分以外の仕組みを働かせることはリスクを伴ううえに、それほど簡単ではないということです。

 ただし、時間というリソースが限りあるからといって、働く年齢を先延ばしするのだけは止めて欲しいと思います。

 最近、雑誌の記事や本で見かけるのですが、「身体が元気なうちは70歳でも75歳でも働こう」などと言っている知識人が増えています。年金財政が厳しいこともあります。老後の生活に必要な経済力を維持するためにも出来るだけ長く働きたい、ということなのでしょう。

 先にも述べましたが、この動きには敢えて異を唱えたいと思います。確かに高齢者が働き続けることが出来れば、年金受給開始時期を後ずれさせることも可能だし、良いことづくめのように見えるかもしれません。しかし、大事なことを見落としています。それは体力の面でも知力の面でも若いころに出来たことが出来なくなっている高齢者を雇用し続けることで、企業の競争力が削がれるということです。

 グローバルな資本主義の中では、世界中の企業が同じルールに基づいて熾烈な競争を繰り広げています。日本だけが特殊なルールを導入して不利になったところで、だれも救いの手を差し伸べてはくれません。日本企業だけが相対的に沈んでいくことになってしまうのです。

 そもそも会社は何のためにあるのかということを、真剣に考えたことはあるでしょうか。恐らく大半の人は、こう考えると思います。

「自分が給料をもらって生活するため」

 間違ってはいないのですが、これは給料をもらう自分のことしか考えていない人間の答えです。

 では、本当に正しい答えは何か? 企業の本質的な存在意義は何か? それは「社会に付加価値をつけるため」に尽きると思います。資本主義は、そのように世の中に付加価値を提供できる企業どうしを「神の見えざる手」によって競い合わせることで、より効率的に機能させる近代最大の発明です。「利己」を追求するところに「利他」が生まれるという考え方です。

 確かに資本主義は万能ではなくて、貧富の差の拡大などその弊害も指摘されるところです。その弊害については緩和するような手段が必要ですが、競争による効率化という根幹部分を壊してしまっては元も子もなくなってしまいます。

 個人個人では解決出来ない社会や顧客の問題を解決するべく、異なる能力を持った個人が集まって相乗効果を発揮するために作られたものが会社という形態であって、それこそが会社の本来的な存在意義です。決して構成員である従業員に給料を支払うために存在しているのではないのです。ここを誤解している人が結構います。支払われる給料は、あくまでも会社が社会の問題を解決したことの結果にすぎないのです。

<『ビジネスエリートになるための教養としての投資』より抜粋>

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