※本記事は2011年7月1日に公開したものです。
ポートフォリオ運用の「心」
複数の資産に分散投資した状態を総称して「ポートフォリオ」と呼ぶことは、多くの読者がご存じだろう。ポートフォリオはもともとフランス語で、紙を挟んだファイルのことを指す。かつてパリの株式市場の参加者が有価証券を何枚も挟んで持ち歩く様子から、複数の有価証券を保有した状態をこう呼ぶようになったらしい。現在でも、デザイナーが作品を持ち歩く際に、絵をまとめたものをポートフォリオと呼ぶような使い方がある。
資産運用を語るに当たってはなしに済ませようとすると不都合な言葉だが、単行本や雑誌の原稿では、初心者読者向けの文章では、ポートフォリオという言葉を使うと、「読者に難しい印象を与える」という理由で、編集者が難色を示すことが多い。
そういう意味では、今回の拙文は、ある程度投資に慣れた読者、主に個別株での運用経験のある読者に向けた内容だ。
たとえば株式をポートフォリオとして運用する場合(本質的には、以下の内容は株式の運用でなくても同じだ)、その中心的な思想というか「心」は、「先のことは不確実だ」という認識の徹底にある。
先のことが確実に分かるなら、あるいは結果で論じていいなら、ポートフォリオを組む必要などない。将来が、不確実だからこそ、「ポートフォリオとして」運用を考えるのだ。
この場合、良いポートフォリオとは、「事前にあってベストだと想定されるポートフォリオ」のことであり、ファンドマネージャーの仕事は、継続的にこれを維持し続けることだと言い切ることができる。
現実の投資家にとっては事後的な結果がいいのが一番だが、運用そのものを論じる場合には、「事前にあってベストかどうか」という観点から論じるべきだ。たとえば、「私はこれで儲けた」と言い張って、セオリーから外れた運用方法を弁護しようとする輩が時にいるが、この種の「悪しき結果主義者」には注意が必要だ。