消費増税時の節約はよくないことなのか

 では、改めて「消費」と「投資」について考えてみます。

 個人にとっては家庭経済の予算制約が必ずあります。つまり収入以上に支出を上回らせるわけにはいかないし、むしろ貯蓄余力を残せる程度の消費にしておかなければならないということです。

 ところが、こうした時期に節約を助言すると、それを否定する人がいます。消費を冷え込ませることは経済をシュリンクさせ、ひいては企業の賃上げ余力をも失わせることになるので、「けしからん」というロジックです。国の消費税率の引き上げタイミングなどの政策論争については、いくらでもやっていただいて構わないのですが、「個人の財布」まで増税時に無策でいいという発想はあまり同調できません。

 国内消費を刺激し続けるために個人がムダづかいをしたところで、高が知れています(1億人が総決起して消費ボイコットをするのであれば話はまた別ですが)。それに個人の家計が赤字になったからといって、誰かがその赤字を補てんしてくれるわけでもありません。日常生活に必要なものを、ムダを抑えコスパを意識しながら消費するのは当然のことですし、それは増税時に限らず個人が意識するべきことです。

 個人消費についてはとにかく、消費増税が家計の総支出アップにならない程度の節約は意識したいものです(もちろん、趣味や生きがいの出費はムダではないので、家計を圧迫しない程度に楽しみましょう)。

個人の投資は社会貢献になるのか?

 同じような発想で、こうした不安定な時期に個人投資はどう考えるべきでしょうか。こちらも「個人が無理をして不利益を被る必要はない」というスタンスで考えてみたいと思います。

 まず応じるべきではないのは「こうした時期こそ、個人は国内市場を支える担い手となるべきだ」というような意見です。日本の株価を支えるのは日本人であるべきだ、というような意見を述べる人もいますが、ちょっと危うさがあります。

 長期保有目的で短期的な値下がりを好機とみるうちはまだいいのですが、山一證券廃業直前の社員がやってしまったように、借金をして日本株を個人が買ったところで、株価を支えるほどの力はありません。むしろ借金の金利はアセットクラスとしての株式の期待リターンより高いものとなりますから、個人は全体としてはマイナスリターンになる可能性が大です。

 投資は、社会が進歩することで企業の成長に通じる要素が本質的にあります。ESG投資(環境、社会、企業統治に配慮する企業を選び行う投資)やSDGs(持続可能な開発目標)的アプローチもまったく否定されるものではありません。しかし、個人が無理をして背負うべきものではないと思います。意識の高い一部の個人が、その資産の無理のない範囲から始めていき、徐々にその輪が広がっていくべきものでしょう。少なくとも「そうでなければ投資ではない」と強制されたりするものではありません。

 特に市場が不安定な時期は、短期的な値下がりが生じても耐えて投資を継続できるようなポジションになるよう意識し、無理な投資金額を投入しないことと、できれば継続的な追加資金の投入を行うことを意識したいものです。