4月1日に新元号「令和」が発表されました。5月1日の改元まで、平成も残すところひと月足らず。昭和や平成の改元を振り返りながら、イベント盛り沢山の令和について考察したいと思います。

平成の改元当時を振り返る。バブルと消費税

 歴史を振り返ると、天皇一世の間に「災異改元」と呼ばれる天変地異などの厄から免れるための改元もあれば、「瑞祥改元」と呼ばれる慶事があったときに行われる改元もありました。

 瑞祥改元では、和同開珎の和銅が有名です。武蔵野国で発見された銅が献上されたことに由来しています。その前の慶雲という元号も縁起が良い雲が現れたことを祝して改元されました。

 明治以降は一世一元が原則になりました。明治天皇による一世一元の詔が大日本帝国憲法下の旧皇室典範に引き継がれましたが、第二次世界大戦後の日本国憲法の施行と現皇室典範の制定で効力が失われ、元号の根拠となる法令がない状態がしばらく続いていました。1979年(昭和54年)に元号法が制定されるまでは、明確な元号・改元のルールがなかったことになります。

 元号法には、

第1項:元号は、政令で定める。

第2項:元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。

と定められています。

 本来、改元は天皇陛下の即位という慶事に伴うものですが、皇位継承が天皇陛下の崩御によるものでしたので、昭和も平成も、改元後すぐにお祝いという雰囲気ではありませんでした。

 1988年(昭和63年)の秋に昭和天皇の体調不良が報道されると、国民総自粛モードになります。ソウルオリンピックのテレビ放送では天皇陛下の御容態を報じるテロップが流れ、忘年会や新年会は中止されることもありました。

 1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御されると、テレビ局は2日間にわたってCMを自主的に中止。どのテレビ局も同じような昭和史の特番だったため、レンタルビデオ店に客が殺到しました。

 筆者は当時、小学生でしたが、冬休みの間は、休みの店があったり、デパートも閑散としていたことを覚えています。日本中が喪中という雰囲気でした。平成を国全体で盛大に祝うのは、即位の礼が行われた11月を待つことになります。

 当時の記憶だけを頼りにすると、自粛モードで景気が悪くなりそうな印象があるのですが、平成元年(1989年)はバブルの絶頂。12月29日の大納会では日経平均終値は38,915円87銭の史上最高値をつけます。

 デパートの売上も統計を見る限りでは、悪い数字ではありませんでした。経済産業省「商業動態統計」で百貨店の売上の前年同月比を確認すると、昭和天皇の体調不良が報じられた昭和63年9月以降も増加基調を維持しています。

 昭和63年9月+6.7%、10月+9.3%、11月+7.3%、12月+6.5%、平成元年1月+7.7%という数字は、昨今の不調とは隔世の感があります。

百貨店販売額(前年同月比)の推移

(出所)経済産業省「商業動態統計」を基に筆者作成

 自粛モードを物ともしない需要の底堅さがあったのか(自粛がなければもっと良かった)、見える部分で自粛していただけ(実は自粛していなかった)なのかは議論の余地がありそうです。当時は、優良顧客への外商(店舗外で行われる外交員による訪問販売)が盛んでしたので、庶民には見えないところで大きな取引があったのかもしれません。

 平成元年4月1日には3%の消費税が導入されますが、3月の駆け込み増と4月の反動減はあるものの、消費の基調は強い状態が続きます。もっとも、バブル崩壊の足音は迫っていました。

 株式市場では平成元年末をピークに下落を始め、不動産市場も公定歩合引き上げや、平成2年4月1から実施された不動産向け融資への総量規制により下落を始めます。その後、長らく不良債権処理や金融システムの再建に追われることになりました。