1987(昭和62)年4月13日

ポルトガルと中華人民共和国がマカオを中国に返還する共同声明に調印

 

 1987年4月13日、ポルトガルと中華人民共和国(中国)が、マカオを中国に返還するという共同声明に調印しました。

 1557年、ポルトガルが布教や貿易を目的として広東へ進出。海賊被害に悩まされていた明朝(中国)は、周辺地域の治安向上を条件として、ポルトガルのマカオ居留権を認めました。ポルトガルによる実質的なマカオ支配は約200年続き、1887年にポルトガルがマカオを植民地とする「清葡友好通商条約」を締結。実効支配から、正式に植民地として承認されたのです。

 しかし第2次大戦後、ポルトガルの国力低下に伴い、ポルトガルが各植民地の解放を宣言。1975年には、マカオからポルトガル軍が撤退しました。そして、1984年に行われた英国と中華人民共和国の香港返還交渉に続いて、1987年4月13日に、ポルトガルと中国が、マカオ返還の共同声明に調印。マカオの行政管理権は1999年12月20日に中国へ返還され、マカオは特別行政区となりました。

 長らく西洋支配が続いたマカオの町の公用語は、広東語、ポルトガル語の2語。美しい石畳の路地と、モザイクのタイルが敷き詰められたセナド広場、イタリア人宣教師によって設計された聖ポール天主堂跡などが残り、西洋とアジアが交じり合う不思議な風景となっています。

 

1987 年4月13 日の日経平均株価終値は

22,919円54銭

ライター FIX JAPAN 前沢ともあき